江戸期に江戸川造営で神域分断されて分社、1月にヂンガラ餅行事
[住所]千葉県流山市三輪野山619
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茂侶神社(もろじんじゃ)は、千葉県流山市三輪野山にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 下総国 葛餝郡「茂侶神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創建は不詳。下毛野君の始祖である豊城命が当社名を命名したともいう。御祭神は大物主命である。

大和三輪の大神神社を勧請したものとされる。そのため、三輪茂侶神社とも呼ばれ、鎮座地は三輪山(三輪野山)。

式内社「茂侶神社」の論社は他に、船橋市東船橋松戸市小金原、また当市の分社である埼玉県吉川市三輪野江の三輪神社などがある。

社名の「茂呂」は、大和三輪山の旧名御諸山(みもろやま)の「モロ」のことであるとされている。

式内社「茂侶神社」は、『日本三代実録』貞観13年(817年)11月12日条に従五位上の神階を授けられ、その後、元慶3年(879年)9月25日に正五位上を授けられた。

神宮寺跡・旧参道西平井の鳥居跡・八木郷の地名由来などから、当社は広大な神域を有していたと推測されている。

慶長3年(1598年)、江戸川が掘られたことにより神域が分断された。当社はその東岸にあたる。

そのため、元和年間(1615年-1624年)に江戸川西岸に分社し、先の三輪神社が創建されたという。そうであれば、三輪神社は式内論社として疑わしくなる。

また、当社には江戸幕府から毎年25石の祭祀料が捧げられていた。以前は、当社も三輪神社と称していたという。

市指定無形民俗文化財であるヂンガラ餅行事が伝わる。毎年1月8日、近年はその近辺、あるいは第2日曜日に行われる。

三輪野山地区のオビシャでは、8種類の供え物を供え、8種類の具の入った芋汁を作る。また上台3升、下台5升の供え餅を供える。

神前の行事やトウ渡しという5軒づつの今年と来年の当番の引継ぎ後、いよいよ餅取りが行われる。

裸の若者が神殿に入り、その中に供え餅が投げ入れられる。若者達は供え餅を引きちぎり、奪い合い、餅の割れ方で、その年の吉凶を占う。

境内には、元禄44年(1691年)の庚申塔や、平成8年(1996年)建立の大国主命像、鳥居をくぐった左手に昭和57年(1982年)建立の万葉歌碑がある。

【ご利益】
交通安全、縁結び、家内安全、病気平癒、五穀豊穣
茂侶神社 千葉県流山市三輪野山
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