大和大神神社を勧請、徳川光圀が式内社認定したとされる式内論社
[住所]千葉県松戸市小金原5-28
[電話]-
茂侶神社(もろじんじゃ)は、千葉県松戸市小金原にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 下総国 葛餝郡「茂侶神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創建は不詳。御祭神は大物主命である。大和三輪の大神神社を勧請したものとされる。
式内社「茂侶神社」の論社は他に、流山市三輪野山、船橋市東船橋、また流山市の分社である埼玉県吉川市三輪野江の三輪神社などがある。
社名の「茂呂」は、大和三輪山の旧名御諸山(みもろやま)の「モロ」のことであるとされている。
式内社「茂侶神社」は、『日本三代実録』貞観13年(817年)11月12日条に従五位上の神階を授けられ、その後、元慶3年(879年)9月25日に正五位上を授けられた。
当社は、江戸時代には幕府の広大な軍馬の放牧場である小金牧があり、その中心が現在の松戸市小金原だった。
その小金牧に隣接して水戸徳川家の鷹場が設けられ、寛永19年(1642年)には徳川光圀が当地で鷹狩りをしたとの記録もある。
この縁で、光圀から、当社が式内社「茂侶神社」であることを認められたという。その根拠などは不明。
寛文4年(1664年)4月、光圀は家臣の板野・伊藤の両名を遣し、当社の本殿・拝殿の修復を行わせた。
それと同時に、光圀は自書の「茂侶社」扁額を献じた。以降、水戸家より代々祭典料や営繕料が献ぜられた。
現在の社名額は明治26年2月7日、明治天皇の弟である有栖川宮一品幟仁親王の親筆によるもの。
例祭は10月17日。戦前までは村費により、盛大に行われていたという。
本殿の右手に境内社として、粟嶋大神・松尾大神・疱瘡大神・稲荷大神がある。
【ご利益】
交通安全、縁結び、病気平癒

【関連記事】
・千葉県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、千葉県に鎮座している神社の一覧
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茂侶神社(もろじんじゃ)は、千葉県松戸市小金原にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 下総国 葛餝郡「茂侶神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創建は不詳。御祭神は大物主命である。大和三輪の大神神社を勧請したものとされる。
式内社「茂侶神社」の論社は他に、流山市三輪野山、船橋市東船橋、また流山市の分社である埼玉県吉川市三輪野江の三輪神社などがある。
社名の「茂呂」は、大和三輪山の旧名御諸山(みもろやま)の「モロ」のことであるとされている。
式内社「茂侶神社」は、『日本三代実録』貞観13年(817年)11月12日条に従五位上の神階を授けられ、その後、元慶3年(879年)9月25日に正五位上を授けられた。
当社は、江戸時代には幕府の広大な軍馬の放牧場である小金牧があり、その中心が現在の松戸市小金原だった。
その小金牧に隣接して水戸徳川家の鷹場が設けられ、寛永19年(1642年)には徳川光圀が当地で鷹狩りをしたとの記録もある。
この縁で、光圀から、当社が式内社「茂侶神社」であることを認められたという。その根拠などは不明。
寛文4年(1664年)4月、光圀は家臣の板野・伊藤の両名を遣し、当社の本殿・拝殿の修復を行わせた。
それと同時に、光圀は自書の「茂侶社」扁額を献じた。以降、水戸家より代々祭典料や営繕料が献ぜられた。
現在の社名額は明治26年2月7日、明治天皇の弟である有栖川宮一品幟仁親王の親筆によるもの。
例祭は10月17日。戦前までは村費により、盛大に行われていたという。
本殿の右手に境内社として、粟嶋大神・松尾大神・疱瘡大神・稲荷大神がある。
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