式内「飫富神社」、平安期から続く祭礼、1月に古式の筒粥神事
[住所]千葉県袖ケ浦市飯富2863
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飽富神社(あきとみじんじゃ )は、千葉県袖ケ浦市飯富にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 上総国 望陀郡「飫富神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

第2代綏靖天皇元年4月、皇兄である神八井耳命が創祀したという。この地を開拓した飫富氏、あるいは神八井耳命の末裔である多氏と関係していると考えられる。御祭神は倉稻魂命

当初は飫富神社(おおとみじんじゃ)と称し、後世、「飫」「飽」「飯」が混乱したたために、当社旧称、現社名、鎮座地名がばらばらになったとされる。

昔はこの辺りまで海だったとされるが、御祭神も含めて、どちらにしろ現在は「食」に馴染み深い神社といえる。もっとも、御祭神については、天富命や神八井耳命とする説もある。

平安時代の元慶元年(877年)に祈雨の勅願があり、元慶8年(884年)7月15日には正五位上に叙された。

天慶2年(939年)、平将門の乱により坂東の地は荒廃し、朱雀天皇はこれを憂えて、当社に勅使を送り、神剣を奉納し、兵乱鎮定を祈願したという。

江戸時代、元禄4年(1691年)に再建の記録が確認できる。明治5年(1872年)、県社に列した。

例祭は毎年6月初午の日で、現在は7月24日。文政11年(1828年)以降は氏子八か村が交替で神輿を担いでいる。

この祭礼は天延3年(976年)、上総国に疫病が流行った際、時の上総国の国司源頼光によって執り行われたことを起源とするという。

ただし、源頼光が上総国の国司となった史実は確認できない。

筒粥の神事が伝わり、隣接する国勝神社の筒粥とともに、毎年1月14日深夜から15日の未明にかけて行われる。

作物の作柄を占うもので、禊が慣行され、旧家の役割が引き継がれるなど、年占いの古いかたちを残す。「飽富神社の筒粥神事」として、県の無形民俗文化財に指定されている。

下記のように、当社の境内社は実に合わせて75社75座という膨大なものに達する。七十五末社として、丁重に祀られ、信仰されている。

本殿後:東之方御末社5社
本殿後:西之方御末社5社
本殿:東之方御末社20社
本殿:西之方御末社13社
亥之方(北北西)御末社9社
南方御末社3社
寅之方(東北東)御末社4社
卯之方(東)御末社2社
北方御末社10社
丑之方(北北東)御末社2社
申之方(西南西)御末社2社

御神木は銀杏の大木で、「父之木」と呼ばれ、樹齢は約300年。

なお、神紋は五七桐で、これは東京湾奥に鎮座する、いずれも式内社の姉埼神社蘇我比咩神社とも共通している。

【ご利益】
五穀豊穣、商売繁盛、平穏安寧、厄災除け
飽富神社 千葉県袖ケ浦市飯富
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