里見義康の朱印状と鎌倉期ともされる神像2躯が伝わる式内の古社
[住所]千葉県南房総市宮下27
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莫越山神社(なこしやまじんじゃ)は、千葉県南房総市宮下にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 安房国 朝夷郡「莫越山神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

初代神武天皇元年、天富命が阿波の忌部を率いて、当国に下った際、小民命・御道命の要請により、その祖神である手置帆負命、彦狭知命を祭祀したのが創祀。

当社を中心として、付近には、古墳時代後期に神祭が盛んに行われていたことを物語る東畑遺跡・石神畑遺跡・六角堂遺跡などが発掘されている。

当社北方にある、渡度山(とどやま)とも呼ばれる標高120メートルの莫越山を御神体とし、その遥拝所として、奈良時代の養老2年(718年)に社殿が造営され、勅願所となった。

平安時代の万寿2年(1025年)・治承年間(1177年-1181年)、戦国時代の天正7年(1579年)に社殿の脩造などの記録が見える。

天正19年(1590年)7月26日には領主里見義康による朱印状が残り、当地の領主や武将の崇敬を受けたことがうかがえる。朱印状は現存し、現在は市の指定文化財。

江戸時代になり、寛文9年(1669年)に再造されたが、元禄16年(1703年)、大地震により社殿が倒壊、宝永4年(1707年)に、安房勝山藩2代藩主酒井忠胤が再建したという。

明治5年(1872年)に村社に列するが、大正12年(1923年)の関東大震災で社殿が倒壊、昭和2年(1927年)に現在の社殿が再建された。昭和19年(1944年)に郷社に昇格。

御祭神が工匠の祖神であり、建築関係の信仰を特に集め、この地域の中心的な神社として、今日に至っている。

例祭は10月10日。北の筒井山には、当社の里宮に対する奥宮があり、昭和初期まで、7月の夏祭りに奥宮から当社に御輿が出ていて、祭礼が終わると再び奥宮に返納されていたという。

木造の御神像2躯が伝わる。2躯ともに衣冠を着用し、拱手して立ち、2柱の御祭神(手置帆負命・彦狭知命)の像として崇拝されてきたもの。

この神像は、南北朝時代中期の作ともされるが、一説には鎌倉時代末期まで遡れるとも。現在は、市の文化財に指定されている。

境内社に八雲神社と山神社がある。

なお、式内社「莫越山神社」の論社は他に、当社の南方、沓見に同名の神社があり、区別するため、当社を特に宮下莫越山神社と呼ぶ場合がある。

【ご利益】
建築・建設業、事業成功、産業振興
莫越山神社 千葉県南房総市宮下
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