景行天皇が土蜘蛛征伐で創祀、緩木城の鎮守、かつては松の巨木も
[住所]大分県竹田市大字九重野848
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緩木神社(ゆるぎじんじゃ、緩木社)は、大分県竹田市九重野にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。

第12代景行天皇12年、土蜘蛛征伐の際の行宮として当地に滞在した際、景行天皇が伊邪那岐命伊邪那美命の二神を祀ったことが始まり。

平安時代末期の永暦元年(1160年)、平清盛の長男平重盛は緩木山に緩木城を築き、中尾氏に守備させた。その際、中尾氏は当社を城の鎮守として崇敬した。

鎌倉時代初期の養和元年(1181年)、英彦山高僧覺満が緩木山で修行中に英彦山権現の化身の神鷹の奇瑞を見出した。

そこで、英彦山の御祭神である正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命を併せ祀ったという。

もとは標高1046メートルの緩木山の山中に鎮座したが、戦国時代の天正12年(1584年)、大友宗麟による寺社排撃、天正14年(1586年)の薩摩軍侵攻と二度にわたって社殿が破壊された。

その後も一応再興されたが、登拝路が厳しく、冬季の祭典も困難なため、江戸時代になり、元禄7年(1694年年)に緩木山北西麓の現社地に遷座した。

元宮は現在、奥院として石祠や石塔などがある。

かつて、境内には巨大なクロマツがあった。樹高60メートル、幹周6.6メートル、上部で双幹に分かれ、多くの枝条を出していた。

昭和12年(1937年)に「緩木神社の松」として、国の天然記念物に指定されたが、後に枯死して、昭和51年(1976年)には指定が解除された。

現在は、切り株が社殿に納められている。

昭和48年(1973年)、参道整備ならびに山林を社有林として購入するに際し、その資金を得るため、境内の杉を1本切って売却した。その際の売価は2600万円だったとある。

【ご利益】
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緩木神社 大分県竹田市九重野
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