大見郷鎮守、大見三人衆の後裔が補修、樹齢400年の鳥居スギ
来宮神社(静岡県伊豆市八幡106)
[住所]静岡県伊豆市八幡106
[電話]0558-83-2636

来宮神社(きのみやじんじゃ)は、静岡県伊豆市八幡にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「杉桙別命神社(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。

伊豆地方には同名の神社も多く、市内冷川にも同名神社があるが、それらと区別して、当社は特に八幡来宮神社とも呼ばれる。この「八幡」は「はつま」と読まれ、「はちまん」「やはた」ではない。

伊東市八幡野には八幡宮来宮神社という当社とよく似た有名な神社があり、よく混同されるが、全く別の神社。ただし、いわゆるキノミヤ信仰のある社、という意味では共通項はあるが。

創建は不詳。御祭神は五十猛命。南北朝時代の貞和年間(1345年-1349年)に藤原祐義が新しく宮殿を建てられたのが始まりとされる。

そのため、創建は貞和年間、あるいは貞和元年(1345年)ともされるが、この時期を、荒廃していた社殿の再建とみる向きがある。

後者であれば、式内社の可能性がある。その後、弘和2年(1382年)の社殿造立の記録がある。

古くから大見郷16ヶ村の総鎮守として、終戦前までは例祭に必ず田方郡長が奉幣使として参拝していたという。

現在の建物は昭和6年(1931年)から7年(1932年)にかけて大改修され、再建されたもの。

境内入口の大きい2本のスギは一名を鳥居スギと呼ばれ、樹齢は400年以上。数度の落雷にも耐え、木肌がむき出しになり痛々しさも感じさせながら、その力強さは依然健在。

また境内奥に大きなクスノキの老木があり、その根の空洞に昔、伊東祐親の家臣に追われた大見小藤太が隠れていたとの伝承があり、今でも祭礼時には新しい注連縄が張り替えられる。

この話には後日談がある。
大見小藤太は隠れたものの、近くにいた馬がいなないたため、敵兵に見つかり、殺される。

死骸は野ざらしになったが、これを憐れんだ土屋氏という武士が、当社の裏山に埋葬、墓石を建てて弔った。

長い年月が過ぎると、土屋家も絶え、墓石も土中に埋まり、誰からも忘れ去られた。年代不詳ながら近年になり、近くに住む山本家の馬が病気になった。

馬の医者である伯楽も見放すほどの重病となった馬だったが、ある夜、その家人である老母の夢枕に武士が現れた。

「私は、あの神社の裏山に埋葬されているものだ。墓守も絶え、土中に埋まったままだが、掘り起こしてくれまいか。そうすれば、馬の病気を治してやろう」

家人はただちにその場所を掘ると、確かに五輪の塔が現れた。これを他の場所に移して丁寧に供養したところ、重病だった馬がすっかり元気になったという。
当社は大見川右岸に鎮座し、上流には大見城址があり、大見城の鎮守だったことも考えられる。

大見城の築城は平安時代末期とされる。それ以前から村の鎮守として崇敬されてきたものか。

先の大見氏の伝承はもとより、大見氏との関わりが深く、大見氏を支えた大見三人衆のひとり佐藤藤左衛門尉の系累が、代々常に当社の補修再建に尽力してきたという。

例祭は10月20日。前日の19日が宵祭り。

なお、式内社「杉桙別命神社」の論社は他に、河津町の杉桙別命神社がある。

【ご利益】
木の神、病気平癒、牛馬の神、リフレッシュ
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