村上市、筥堅山の崖地が神域、社叢は天然記念物、平安期に筥崎宮を勧請
筥堅八幡宮(新潟県村上市勝木字筥竪山1411-甲)
[住所]新潟県村上市勝木字筥竪山1411-甲
[電話]0254-77-2259

筥堅八幡宮(はこがたはちまんぐう)は、新潟県村上市勝木にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「蒲原神社(越後国・磐船郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

平安時代の延喜21年(921年)、筑前国一宮である筥崎宮の御分霊を勧請したのが始まりとされる。御祭神は応神天皇

『延喜式』は延長5年(927年)だから、ぎりぎり。ただし、式内比定は当社そのものではなく、後述の合祀した式内同名神社を指すのかもしれない。

神域は陸地から突き出た筥堅山・箱堅山と呼ばれる崖地で、標高60-70メートルあり、古代から自然崇拝の対象になっていた可能性が指摘されている。

当初は御神体と思われる筥堅山または鉾立岩の遥拝所として古宮の地に鎮座していたが、その後、現在地である標高72メートルの筥堅山山頂に遷座した。

この遷座の時期については、江戸時代の元禄4年(1691年)とされる場合もあるが、安土桃山時代の慶長2年(1597年)に描かれた『越後国絵図』で八幡宮として記載されている。

江戸時代以降、海上安全の神として、廻船業、漁業関係者が崇敬したという。

明治時代初頭の神仏分離令を経て、明治5年(1872年)に村社に列し、明治40年(1907年)に周辺に鎮座していた蒲原神社(草野姫命大山祇命)と神明社(天照皇大神)を合祀。

この蒲原神社は、大同年間(806年-809年)以前の創立とされ、式内社としても適合する。

式内社「蒲原神社」の他の論社には、村上市碁石に式内同名神社がある。また、『関川村史』では、関川村土沢の白山神社が式内社「蒲原神社」を合祀したという伝承を載せている。

拝殿の背後が海に面した垂直の断崖になっている。本殿は、拝殿の背後ではなく、右側に置かれているという若干変わった形式。本殿の向きは南西。

本殿が南西を向くことについて、ここから約500メートル先にある鉾立岩と称する奇岩への祭祀との関連があるのではないかという指摘がある。

逆方向の北東に、約500メートルいけば上述の碁石の蒲原神社がある。つまり当社は、碁石の蒲原神社と鉾立岩の中間に位置することになる。

社叢は、神の山として保護され続けたため、原子林相が保たれたという。カヤ、アサダの大樹は県内一といわれている。

「筥堅八幡宮社叢」として、国の天然記念物に指定されている。

例祭は9月第2土・日曜日。大祭で、宵祭の民謡流しから花火大会に続き、八幡宮境内では、山形・新潟の二県対抗奉納相撲が盛大に執り行われる。

境内社として、豊栄稲荷神社がある。

【ご利益】
水難除け、海上安全、大漁満足
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