三河湾に浮かぶ竹島弁天、平安期に藤原俊成が創建、社叢が天然記念物
[住所]愛知県蒲郡市竹島町3-15
[電話]0533-68-3700
八百富神社(やおとみじんじゃ)は、愛知県蒲郡市竹島町、三河湾の竹島にある神社。竹島弁天とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。
平安時代末期、安徳天皇の養和元年(1181年)、藤原俊成によって竹生島を勧請、創建されたと伝えられる。
これよりも前、久安元年から同五年(1145年-1149年)、藤原俊成は、三河守として竹谷・蒲形の両庄の開発の任にあり、竹島と竹生島の類似性に気が付いていたという。
御祭神は市杵島姫命で、開運・安産・縁結びの神として、古くより広く信仰されている。例祭は10月第3土曜・日曜日。
『三河雀』では、江島・竹生島・厳島などとともに、日本七弁天の一つとされている。他の三社は不詳だが、天河弁財天・玉川弁財天・瀧安寺弁財天などが候補か。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの前には徳川家康が参拝し、その後朱印4石8斗を寄進した。
領主松平家の崇敬は篤く、鳥居・華表・燈籠などの奉納も非常に多く行われたという。
毎年正月と江戸表へ出立、また帰郷した際には、金紋先箱にて列次を整え、領主自ら参拝したり、例祭には重臣に代理させて弓の神事も行われた。
寛永2年(1625年)の大干ばつの時には領主が祈願して降雨があったと伝えられており、神恩に感謝して法華経全巻が奉納されたという。
大正4年(1915年)、海上の大鳥居が完成、昭和7年(1932年)、名古屋の繊維問屋の主が自費で橋をかけ当時の蒲郡町に寄付をした。
これが竹島橋で、これにより参拝が容易となった。現在の橋は、昭和61年(1986年)に完成した。
竹島は対岸とはわずか400メートルしか離れていないが、暖地性の植生であり、対岸の植物相とは大きく異なるという特異的な環境だった。
「竹島八百富神社社叢」として国の天然記念物に指定されている。全島常緑広葉樹林で、本来の自然植生が残されている点で貴重である。
島の山頂北部においてはモチノキが多く、東南部ではヒメユズリハ、ヤブニッケイ、カクレミノなどが繁茂し、林床には、キノクニスゲがよく茂っている。
境内社に、宇賀神社(宇迦之御魂神。例祭は4月9日)・大黒神社(大国主神。同3月30日)・千歳神社(藤原俊成。同5月5日)・八大龍神社(豊玉彦命。同7月16日)がある。
宇賀神社は、鎌倉時代の寿永3年から建久4年(1184年-1193年)、当地方の三河守であった源範頼が深く信仰したと伝わる。
海嘯により流されてしまい、一時期は郡内国府村(現 豊川市国府町)で祀られていたが、享保10年(1725年)、国府村の住人と竹島の神主が同時に霊夢を見て、再び当社地に遷座した。
八大龍神社は、藤原俊成が夢で「この島に社を建て私を祀るならば、永く守護をあたえよう」と託宣があり、創建されたもの。雨乞いの霊験あらたかなことで知られる。
市指定文化財として、弁財天十五童子像・俊成卿画像・伯牙子期図絵馬 狩野安信筆・木造弁財天像・五条三位俊成卿筆加賀切・竹島参詣滑稽雛栗毛がある。
【ご利益】
開運招福・安産・縁結び(公式HP)

【関連記事】
・国の天然記念物がある神社 - 数百年、数千年という単位で存在し続けている自然のパワー
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八百富神社(やおとみじんじゃ)は、愛知県蒲郡市竹島町、三河湾の竹島にある神社。竹島弁天とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。
平安時代末期、安徳天皇の養和元年(1181年)、藤原俊成によって竹生島を勧請、創建されたと伝えられる。
これよりも前、久安元年から同五年(1145年-1149年)、藤原俊成は、三河守として竹谷・蒲形の両庄の開発の任にあり、竹島と竹生島の類似性に気が付いていたという。
御祭神は市杵島姫命で、開運・安産・縁結びの神として、古くより広く信仰されている。例祭は10月第3土曜・日曜日。
『三河雀』では、江島・竹生島・厳島などとともに、日本七弁天の一つとされている。他の三社は不詳だが、天河弁財天・玉川弁財天・瀧安寺弁財天などが候補か。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの前には徳川家康が参拝し、その後朱印4石8斗を寄進した。
領主松平家の崇敬は篤く、鳥居・華表・燈籠などの奉納も非常に多く行われたという。
毎年正月と江戸表へ出立、また帰郷した際には、金紋先箱にて列次を整え、領主自ら参拝したり、例祭には重臣に代理させて弓の神事も行われた。
寛永2年(1625年)の大干ばつの時には領主が祈願して降雨があったと伝えられており、神恩に感謝して法華経全巻が奉納されたという。
大正4年(1915年)、海上の大鳥居が完成、昭和7年(1932年)、名古屋の繊維問屋の主が自費で橋をかけ当時の蒲郡町に寄付をした。
これが竹島橋で、これにより参拝が容易となった。現在の橋は、昭和61年(1986年)に完成した。
竹島は対岸とはわずか400メートルしか離れていないが、暖地性の植生であり、対岸の植物相とは大きく異なるという特異的な環境だった。
「竹島八百富神社社叢」として国の天然記念物に指定されている。全島常緑広葉樹林で、本来の自然植生が残されている点で貴重である。
島の山頂北部においてはモチノキが多く、東南部ではヒメユズリハ、ヤブニッケイ、カクレミノなどが繁茂し、林床には、キノクニスゲがよく茂っている。
境内社に、宇賀神社(宇迦之御魂神。例祭は4月9日)・大黒神社(大国主神。同3月30日)・千歳神社(藤原俊成。同5月5日)・八大龍神社(豊玉彦命。同7月16日)がある。
宇賀神社は、鎌倉時代の寿永3年から建久4年(1184年-1193年)、当地方の三河守であった源範頼が深く信仰したと伝わる。
海嘯により流されてしまい、一時期は郡内国府村(現 豊川市国府町)で祀られていたが、享保10年(1725年)、国府村の住人と竹島の神主が同時に霊夢を見て、再び当社地に遷座した。
八大龍神社は、藤原俊成が夢で「この島に社を建て私を祀るならば、永く守護をあたえよう」と託宣があり、創建されたもの。雨乞いの霊験あらたかなことで知られる。
市指定文化財として、弁財天十五童子像・俊成卿画像・伯牙子期図絵馬 狩野安信筆・木造弁財天像・五条三位俊成卿筆加賀切・竹島参詣滑稽雛栗毛がある。
【ご利益】
開運招福・安産・縁結び(公式HP)

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