伊東家の守護神、樹齢1000年の樟がある「岡の郷社」、岡の神楽や鳥刺踊り
[住所]静岡県伊東市馬場町1-16-40
[電話]0557-37-1050
葛見神社(くずみじんじゃ)は、静岡県伊東市馬場町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「久豆彌神社/久豆弥神社(伊豆国・田方郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
伊東市市街地の南部、高さ30メートル程の小丘北裾に鎮座し、境内の鬱蒼と茂る樹林中には樟の大木が聳える。
現本殿の棟札に元禄10年(1697年)当時は「葛見大社」と称されていたことが見えるが、古くは久須見神社・久寤大社とも称され、明治維新後に現社名に改めた。
神社名は古代の久寝郷、中世の久須見庄・葛美庄、萳美庄という地名にちなんだものとされる。
鎮座地は近世まで岡村に属し、住所表示も昭和までは伊東市岡字宮の上であったため、現も「岡の郷社」と通称される。
葛見神を主祭神とする。葛見神については、事代主命とも、大己貴命・少彦名命とも。
倉稲魂命(稲荷神)を相殿に祀る。稲荷神は後世伊東氏が勧請したとされる。また、大山祇命が合祀されている。
往古より一帯の守護神として、境内に繁茂する樹林を神霊の宿る杜として祭祀が行われていたものと考えられる。『伊豆国神階帳』にはその名が見えない。
中世になると、当地を拠点とする伊東氏の尊崇と保護を受け、伊東祐隆は当社を修造するとともに、近くに東林寺を創建して別当寺として当社を管理させた。
当地における伊東氏の勢力は祐隆の孫である祐親の死後に衰えたが、その後も付近諸所に残留する子孫が当社を信仰した。
慶長15年(1610年)には伊東正世が焼失後の造営を行っており、明治までは時々の領主により神供米が寄進された。
現在の本殿は上屋(覆屋)によって保護される2間四方の神明造で元禄10年(1697年)の造替にかかり、欄間には狐などの彫刻が施されている。
当社は近在の住民からも聖視され、かつては社前の道を葬送の列が通ることが固く禁じられ、その道が東林寺へ通う本道とされたが、同寺へ葬る際には迂回路を採った。
明治初年の神仏分離により東林寺の住僧が還俗して朝日氏を名乗り、以来朝日家が神職家となっている。明治6年(1873年)4月に郷社に列した。
例祭はもとは9月19日、その後10月19日に改められ、現在は10月15日。例祭には境内チョーヤ(庁舎)において「岡の神楽」や三番叟、鳥刺踊りが奉納される。
「岡の神楽」は2月初午日に演じられていた獅子舞。しばらく中絶したが、昭和59年(1984年)に復興した。
鳥刺踊りは市内の他の神社でも奉納され、いずれも『曽我物語』に材を取り、鳥刺しに身を窶した曾我兄弟が親の仇を討つ内容となっている。
拝殿の左に目通り幹囲約15メートルの大樟がある。樹齢は1000年を越えると言われ、「葛見神社の大クス」として、国の天然記念物に指定されている。
境内社に、熊野神社・白山神社・三島神社・神明・春日の2社を合祀した八幡神社・疱瘡神がある。疱瘡神は天然記念物の大樟の樹下に石祠で祀られる。
なお、式内社「久豆弥神社」の論社は他に、熱海市上宿町の湯前神社がある。また、越前国 敦賀郡の式内社にも「久豆彌神社」がある。
【ご利益】
病気平癒、健康長寿、リフレッシュ

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葛見神社(くずみじんじゃ)は、静岡県伊東市馬場町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「久豆彌神社/久豆弥神社(伊豆国・田方郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
伊東市市街地の南部、高さ30メートル程の小丘北裾に鎮座し、境内の鬱蒼と茂る樹林中には樟の大木が聳える。
現本殿の棟札に元禄10年(1697年)当時は「葛見大社」と称されていたことが見えるが、古くは久須見神社・久寤大社とも称され、明治維新後に現社名に改めた。
神社名は古代の久寝郷、中世の久須見庄・葛美庄、萳美庄という地名にちなんだものとされる。
鎮座地は近世まで岡村に属し、住所表示も昭和までは伊東市岡字宮の上であったため、現も「岡の郷社」と通称される。
葛見神を主祭神とする。葛見神については、事代主命とも、大己貴命・少彦名命とも。
倉稲魂命(稲荷神)を相殿に祀る。稲荷神は後世伊東氏が勧請したとされる。また、大山祇命が合祀されている。
往古より一帯の守護神として、境内に繁茂する樹林を神霊の宿る杜として祭祀が行われていたものと考えられる。『伊豆国神階帳』にはその名が見えない。
中世になると、当地を拠点とする伊東氏の尊崇と保護を受け、伊東祐隆は当社を修造するとともに、近くに東林寺を創建して別当寺として当社を管理させた。
当地における伊東氏の勢力は祐隆の孫である祐親の死後に衰えたが、その後も付近諸所に残留する子孫が当社を信仰した。
慶長15年(1610年)には伊東正世が焼失後の造営を行っており、明治までは時々の領主により神供米が寄進された。
現在の本殿は上屋(覆屋)によって保護される2間四方の神明造で元禄10年(1697年)の造替にかかり、欄間には狐などの彫刻が施されている。
当社は近在の住民からも聖視され、かつては社前の道を葬送の列が通ることが固く禁じられ、その道が東林寺へ通う本道とされたが、同寺へ葬る際には迂回路を採った。
明治初年の神仏分離により東林寺の住僧が還俗して朝日氏を名乗り、以来朝日家が神職家となっている。明治6年(1873年)4月に郷社に列した。
例祭はもとは9月19日、その後10月19日に改められ、現在は10月15日。例祭には境内チョーヤ(庁舎)において「岡の神楽」や三番叟、鳥刺踊りが奉納される。
「岡の神楽」は2月初午日に演じられていた獅子舞。しばらく中絶したが、昭和59年(1984年)に復興した。
鳥刺踊りは市内の他の神社でも奉納され、いずれも『曽我物語』に材を取り、鳥刺しに身を窶した曾我兄弟が親の仇を討つ内容となっている。
拝殿の左に目通り幹囲約15メートルの大樟がある。樹齢は1000年を越えると言われ、「葛見神社の大クス」として、国の天然記念物に指定されている。
境内社に、熊野神社・白山神社・三島神社・神明・春日の2社を合祀した八幡神社・疱瘡神がある。疱瘡神は天然記念物の大樟の樹下に石祠で祀られる。
なお、式内社「久豆弥神社」の論社は他に、熱海市上宿町の湯前神社がある。また、越前国 敦賀郡の式内社にも「久豆彌神社」がある。
【ご利益】
病気平癒、健康長寿、リフレッシュ

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