知多半島最南端に尾張氏の祖を祀る、ウバメガシの社叢、SKE48ファンの絵馬
[住所]愛知県知多郡南知多町大字師崎字明神山1
[電話]0569-63-0790
羽豆神社(はづじんじゃ )は、愛知県知多郡南知多町にある神社。『延喜式神名帳』にある「羽豆神社(尾張国・知多郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
知多半島の最南端に位置し、東側を三河湾、西側を伊勢湾に挟まれている羽豆岬に、白鳳年間(661年-683年、あるいは672年-685年)に鎮座した。
御祭神は尾張氏の祖で、建稲種命。当社創建よりはるかに遡り、日本武尊が東征の際、この地の水軍を率いて参加したと伝わる。
知多湾を挟んで対峙する、蛭子半島の先に、三河国の式内社である幡頭神社が存在する。やはり建稲種命ゆかりで、当社が進発の地であれば、対岸は終焉の地。
宮司は創建以来、間瀬家が世襲している。『尾張国神名帳』には「従一位 羽豆名神」とある。
鎌倉時代末期の元亨年間(1312年-1313年)、熱田大宮司摂津守親昌とその猶子昌能が当地に城を築き、あわせて当社を修復したという。
南北朝時代、応安3年(1370年)、宗良親王から奉幣を受けた。康応元年(1389年)には城主蜂屋光経が社殿を造営した。
応永15年(1408年)には一色道範が心阿彌陀経一巻 妙法蓮華教八巻を奉納し、現存する。現在は県指定文化財。
室町時代の永享6年(1434年)には加賀守盛貞が、戦国時代の明応9年(1500年)には田原城主戸田憲光が、それぞれ社殿を造営した。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の検地で所領が没収されるものの、江戸時代になり、慶長6年(1601年)、領主千賀重親により社殿が造営された。
徳川家康や和歌山藩初代藩主徳川頼宣をはじめ、尾張徳川家累代が参詣したといい、初代藩主徳川直義、2代藩主徳川光友、4代藩主徳川吉通などの名が記されている。
寛永18年(1641年)には火災で焼失。宝暦10年(1760年)には社殿が造営された。近世には幡頭崎八幡宮とも称した。
明治5年(1872年)9月、郷社に列した。例祭は旧暦8月14日・15日だが、近年では10月初旬の土日に行われている。
起源は古く、少なくとも戦国時代の天文20年(1551年)まではさかのぼれる祭典。「師崎祭」として知られ、山車5台を含めた大名行列があり、壮観。
当社社叢は、ウバメガシを主とし、イブキ・トベラ・クロマツ・ヤブニッケイ・モチノキなどが共存する暖地性常緑樹林からなり、付近の山地の植物群落とは景観を異にしている。
特に展望台に続く全長800メートルの遊歩道はウバメガシのトンネルが続いており、「恋のロマンスロード」とも呼ばれる。「羽豆神社の社叢」として、国の天然記念物に指定されている。
境内社に、厳島社・春日社・月読社・住吉社・両大神社・津島社・蛭子社・三狐社・海神社・八王子社・八幡社がある。
アイドルグループSKE48の楽曲『羽豆岬』は、当地でミュージック・ビデオの撮影が行われた。平成25年(2013年)6月に羽豆岬公園に歌碑が建てられた。
当社にもファンによる絵馬が多く奉納されている。
【ご利益】
地域振興、地域安全、家内安全、一族・子孫繁栄、水難除け
【関連記事】
・国の天然記念物がある神社 - 数百年、数千年という単位で存在し続けている自然のパワー
・愛知県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、愛知県に鎮座している神社の一覧
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羽豆神社(はづじんじゃ )は、愛知県知多郡南知多町にある神社。『延喜式神名帳』にある「羽豆神社(尾張国・知多郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
知多半島の最南端に位置し、東側を三河湾、西側を伊勢湾に挟まれている羽豆岬に、白鳳年間(661年-683年、あるいは672年-685年)に鎮座した。
御祭神は尾張氏の祖で、建稲種命。当社創建よりはるかに遡り、日本武尊が東征の際、この地の水軍を率いて参加したと伝わる。
知多湾を挟んで対峙する、蛭子半島の先に、三河国の式内社である幡頭神社が存在する。やはり建稲種命ゆかりで、当社が進発の地であれば、対岸は終焉の地。
宮司は創建以来、間瀬家が世襲している。『尾張国神名帳』には「従一位 羽豆名神」とある。
鎌倉時代末期の元亨年間(1312年-1313年)、熱田大宮司摂津守親昌とその猶子昌能が当地に城を築き、あわせて当社を修復したという。
南北朝時代、応安3年(1370年)、宗良親王から奉幣を受けた。康応元年(1389年)には城主蜂屋光経が社殿を造営した。
応永15年(1408年)には一色道範が心阿彌陀経一巻 妙法蓮華教八巻を奉納し、現存する。現在は県指定文化財。
室町時代の永享6年(1434年)には加賀守盛貞が、戦国時代の明応9年(1500年)には田原城主戸田憲光が、それぞれ社殿を造営した。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の検地で所領が没収されるものの、江戸時代になり、慶長6年(1601年)、領主千賀重親により社殿が造営された。
徳川家康や和歌山藩初代藩主徳川頼宣をはじめ、尾張徳川家累代が参詣したといい、初代藩主徳川直義、2代藩主徳川光友、4代藩主徳川吉通などの名が記されている。
寛永18年(1641年)には火災で焼失。宝暦10年(1760年)には社殿が造営された。近世には幡頭崎八幡宮とも称した。
明治5年(1872年)9月、郷社に列した。例祭は旧暦8月14日・15日だが、近年では10月初旬の土日に行われている。
起源は古く、少なくとも戦国時代の天文20年(1551年)まではさかのぼれる祭典。「師崎祭」として知られ、山車5台を含めた大名行列があり、壮観。
当社社叢は、ウバメガシを主とし、イブキ・トベラ・クロマツ・ヤブニッケイ・モチノキなどが共存する暖地性常緑樹林からなり、付近の山地の植物群落とは景観を異にしている。
特に展望台に続く全長800メートルの遊歩道はウバメガシのトンネルが続いており、「恋のロマンスロード」とも呼ばれる。「羽豆神社の社叢」として、国の天然記念物に指定されている。
境内社に、厳島社・春日社・月読社・住吉社・両大神社・津島社・蛭子社・三狐社・海神社・八王子社・八幡社がある。
アイドルグループSKE48の楽曲『羽豆岬』は、当地でミュージック・ビデオの撮影が行われた。平成25年(2013年)6月に羽豆岬公園に歌碑が建てられた。
当社にもファンによる絵馬が多く奉納されている。
【ご利益】
地域振興、地域安全、家内安全、一族・子孫繁栄、水難除け
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