愛媛今治、近世には村内の一末社、明治期に熊野と八幡を合祀した式内社
大須伎神社(愛媛県今治市高橋乙358-3)
[住所]愛媛県今治市高橋乙358-3
[電話]0898-48-2894

大須伎神社(おおすぎじんじゃ)は、愛媛県今治市高橋にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 伊予国 越智郡「大須伎神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

主祭神は少那毘古那命。現在は阿遅鋤高日子根命伊邪那美命熊野忍隅命品陀和気命息長帯姫命を併せて祀る。例祭は10月10日。

本来は木霊を祀ったという。第33代推古天皇4年(596年)、厩戸皇子が神号の扁額を奉納したと伝わる。

もとは字倉橋の蒼社川堤防下にあり、100年から200年ごとに洪水被害に遭った記録がある。

江戸時代になると、大次大明神と呼ばれたが、村内の一小社となっていた。

特に伊予今治藩初代藩主久松定房が寛文10年(1670年)に伊予熊野権現を再興すると、奈良時代に国司越智玉純が勧請したとも伝わる小林八幡宮とあわせて崇敬を集め、当社はその一末社の扱いになった。

明治になり、式内社選定の機運が高まったのだろうか、当社が比定され、準備が進められたようだ。

明治44年(1912年)、伊予熊野神社があった現在地に遷座、伊予熊野神社・小林八幡宮を合祀した。堤防下の旧社地は児童公園になっているという。

現在の社殿は、拝殿と本殿の間が石橋でつながっているという珍しい形態。

境内社として、稲荷神社がある。慶長年間(1596年-1615年)に藤堂高虎が山城国伏見稲荷大社を勧請したと伝わる。

当初は今治城内に大規模な社殿を構築してこの稲荷神を奉斎したが、国替えとなり、その後久松定房の代になり、伊予熊野神社の境内に移した。

また、境内には河上安固(?-1784年)の腰掛岩がある。伊予今治藩士で、宝暦年間(1751年-1764年)、権現山のこの岩の上に座って、蒼社川の流れを調査し、その治水を成功させた。

雨乞石がある。古代から大旱魃の年には、村民がこの石の許に集まって雨乞祈祷を行った。その時不思議にこの石が潤い、くぼみに水滴ができ、大雨となって恵みの雨を戴いたと伝わる。

御宝松は、昔、これを切ろうとした時、一羽の鳥が飛来して鳴いて切らさなかった伝わる霊木で、現在のものは数度の移植を経ているもの。

【ご利益】
病気平癒、身体壮健、健康長寿
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