龍神・天候を象徴する佐々久山、仁徳天皇の崩御に際して徳を慕い創建
[住所]愛媛県西条市安用512
[電話]0898-68-6425
佐々久神社(ささくじんじゃ)は、愛媛県西条市の佐々久山にある神社。佐々久山は南北約800メートルの和泉砂岩からなる丘陵。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 伊予国 桑村郡「佐佐久神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
丘陵には南端から北端まで弥生時代から古墳時代の遺跡・古墳が多数遺存し、道前平野最大の遺跡群である。
大鸛鷯尊、つまり第16代仁徳天皇の崩御の際、当地の民がその徳を慕って当社を創建したという。
「おおささぎのみこと」の音韻に合せ、佐々久の地名が生まれ、当社号として定着したという。
もともとは佐々久山の西南麓、南尾崎に鎮座していたと伝わる。伊予国造の雀部臣の祖神である神八井耳命も併せて祀る。
仁徳天皇の音韻ではなく、もともと佐々久という地名があった、との考えから、当社御祭神は本来、佐々久から「裂く」として、磐裂神・根裂神とする説もある。
鎮座する佐々久山は「如龍蛇幡中野首南尾北」とあるように龍神のイメージも重なっており、旧地は龍の首に当たる部分。
南北朝時代の天授5年(1379年)、細川頼之の伊予侵入で焼失したという。後に小祠として再建された。
江戸時代の元禄14年(1701年)、夏の旱魃祈雨祭が執行された記録が残る。
享保12年(1727年)5月15日に現在地に遷座、社殿が造営され、天保12年(1841年)6月にも造営された。
例祭は4月20日で、春季例祭。
【ご利益】
祈雨・祈晴、五穀豊穣、地域安全、地域振興
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・愛媛県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、愛媛県に鎮座している神社の一覧
[電話]0898-68-6425
佐々久神社(ささくじんじゃ)は、愛媛県西条市の佐々久山にある神社。佐々久山は南北約800メートルの和泉砂岩からなる丘陵。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 伊予国 桑村郡「佐佐久神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
丘陵には南端から北端まで弥生時代から古墳時代の遺跡・古墳が多数遺存し、道前平野最大の遺跡群である。
大鸛鷯尊、つまり第16代仁徳天皇の崩御の際、当地の民がその徳を慕って当社を創建したという。
「おおささぎのみこと」の音韻に合せ、佐々久の地名が生まれ、当社号として定着したという。
もともとは佐々久山の西南麓、南尾崎に鎮座していたと伝わる。伊予国造の雀部臣の祖神である神八井耳命も併せて祀る。
仁徳天皇の音韻ではなく、もともと佐々久という地名があった、との考えから、当社御祭神は本来、佐々久から「裂く」として、磐裂神・根裂神とする説もある。
鎮座する佐々久山は「如龍蛇幡中野首南尾北」とあるように龍神のイメージも重なっており、旧地は龍の首に当たる部分。
風さわぐ 佐々久の神の 端籠に ぬさと手向くる 霧のふるらん龍神らしい、天候と結びつけた以上のような古歌が伝わる。
南北朝時代の天授5年(1379年)、細川頼之の伊予侵入で焼失したという。後に小祠として再建された。
江戸時代の元禄14年(1701年)、夏の旱魃祈雨祭が執行された記録が残る。
享保12年(1727年)5月15日に現在地に遷座、社殿が造営され、天保12年(1841年)6月にも造営された。
例祭は4月20日で、春季例祭。
【ご利益】
祈雨・祈晴、五穀豊穣、地域安全、地域振興
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