伊予市、神功皇后が祭祀した霊跡、吹揚大明神と尊称、歴代領主が崇敬
伊曽能神社(愛媛県伊予市宮下1971)
[住所]愛媛県伊予市宮下1971
[電話]089-982-4422

伊曽能神社(いそのじんじゃ)は、愛媛県伊予市宮下にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 伊予国 伊予郡「伊曽能神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

創建は不詳だが、神功皇后が三韓征途の際、当地沖で船が進まなくなったため、当地で祭祀を行ったところ、船が進むようになり、そこで小祠が設けられたという。

海上守護の神として、当初は上三谷村平松の地、今の伊予市に鎮座していたという。現在は一宮神社として鎮座している。

伊勢の神宮(伊勢神宮)より天照大神を勧請し、天児屋根命ほか三座の神々を合祀した。

現在では天照皇大神1柱とされる。あるいは、4柱は天児屋根命・太玉命猿田毘古大神・伊蘇志神とも。

初めは伊勢大神宮と称し、伊勢神宮の別宮と奉称、後に吹揚大明神と改めた。

平安時代の大同年間(806年-810年)、長者の心願によって唐木にて社殿が造営された。

貞観年間(859年-877年)、国司源寛が奉幣、延久年間(1069年-1074年)には源頼義が越智親経に命じて社殿を補修させた。

鎌倉時代末期の延慶4年(1311年)、社号を吹上大明神とし、河野家など武門の崇敬があったという。

南北朝時代の貞治5年(1366年)、兵火により焼失、室町時代の応永年間(1394年-1428年)、新三郎という者が現在地に背負って遷座したと伝わる。

江戸時代になり、寛文11年(1671年)3月21日に社殿が造営され、吹揚大明神宮と称した。

享保9年(1724年)正月には現社号に復称し、弘化2年(1845年)・文化11年(1815年)・明治2年(1869年)にも社殿の造営があった。

例祭は10月14日。現在は10月第2土曜日に秋季例大祭が行われる。翌日の日曜日には神幸祭がある。1月15日が春祭、7月第4日曜日が夏越祭。

境内社に、天神社・新三郎神社・厳島神社・猿田彦神社・奈良原神社・稲荷神社・吹揚神社(和霊神社・岡崎神社・高殿神社・応神社・今岡神社・厳島神社・旗立神社・一宮神社)がある。

なお、西条市には当社と同音異字の伊曽乃神社がある。伊曽乃神社は県を代表する神社の一つで、当社とよく混同されるが、別の神社である。

【ご利益】
海上安全、水難除け、開運招福
伊曽能神社 - 伊予市、神功皇后が祭祀した霊跡、吹揚大明神と尊称、歴代領主が崇敬
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