歴代藩主が奉斎してきた東照宮、菅原道真旧跡の天満宮を合祀
[住所]愛媛県松山市祝谷東町640
[電話]089-931-4285

松山神社(まつやまじんじゃ)は、愛媛県松山市祝谷にある神社。別名は東照宮である。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

江戸時代初期の元和4年(1618年)、松山藩主加藤嘉明が、湯月八幡宮(現 伊佐爾波神社)の境内に社を建て、徳川家康を祀ったのを起源とする。

江戸時代中期になり、明和2年(1765年)3月、8代藩主松平定静は、湯月八幡宮の社を、天台宗常信寺に移した。

この地が現在地となり、松山城下の鬼門に位置し、明らかに鬼門守護、松山城鎮護を狙ったものと考えられる。

家康の150回神忌法要を行うため、定静は東照宮造営を命じ、明和5年(1768年)、仮宮が完成、定静臨席のもと、法要が執り行われた。

常信寺の塔頭の一つである広厳院が別当寺となった。

文化12年(1815年)、 11代藩主松平定通(御用掛代拝)のもと、家康神忌200年大祭が執行され、常信寺へ家康神像を勧請した。

幕末の元治2年(1865年)、13代藩主松平勝成臨席のもと、家康神忌250年大祭が行われ、社殿を再造営した。

これが現存し、全国でも7社しかないという権現造の社殿である。本殿・石の間・拝殿・唐門・透塀・御供所・裏門の6棟として、市の有形文化財に指定されている。

明治元年(1868年)、神仏分離令により、常信寺より分離。広厳院も後に廃絶する。また、東照宮は久松松平家の所有となった。

明治時代中期、この東照宮が久松家より祝谷村の鎮守にするようにと村へ譲渡された。

明治43年(1910年)12月、祝谷の御幸寺山麓にあった祝谷天満宮を合祀、現社号に改称した。

祝谷天満宮は、菅原道真が延喜元年(901年)、左遷の途中に立ち寄った地とされ、里人に文を教えたという。

この故事により、後世になって太宰府天満宮から道真の御神霊を勧請し、造営されたもの。別当寺は真言宗円盛寺だった。

御祭神は、徳川家康公(東照大権現)と菅原道真公(天満大自在天神)、相殿に大己貴命少彦名命を祀る。

例祭は、春季例大祭が4月24日、秋季例大祭が10月6日。1月25日には初天神祭がある。

境内には、久松定武から譲り受けた由緒ある飛梅がある。本殿の脇を彩るように植えられており、毎年1月下旬に見頃を迎える。

【ご利益】
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松山神社(松山市) - 歴代藩主が奉斎してきた東照宮、菅原道真旧跡の天満宮を合祀
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松山神社(松山市)の御朱印