観音寺市大野原開拓時に創建、江戸期の社殿、10月に例大祭「ちょうさ」
[住所]香川県観音寺市大野原町大野原1745
[電話]0875-54-4760
大野原八幡宮(おおのはらはちまんぐう)は、香川県観音寺市大野原町大野原にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。
大野原小学校の北西隣に鎮座し、本殿裏には椀貸塚古墳がある。大野原八幡神社とも。
京都鹿ケ谷で大名貸しをしていた平田与一左衛門正重が、讃岐丸亀藩初代藩主山崎家治の許可を得て、寛永20年(1643年)に当地・大野原で開墾事業を始めた。
工事着手に当たり、霊夢を見、一宮一刹を建立せよとの神託を受けた。これが当社と、当社の別当寺である慈雲寺となる。
当社は応神宮と称されたという。その後、3代平田源助正清が、京都石清水八幡宮から足仲日子命・誉田別尊・息長帯姫命を勧請。
元禄6年(1693年)、大野原正八幡宮として本殿・幣殿・拝殿を建立した。
宝永6年(1709年)秋の大祭から神幸祭が行われ、神輿3台、だんじり4台、獅子、鉄砲5挺、長刀、慈雲寺別当寺200名あまりの大行列で神事が行われたという。
平田家全盛時代の、10代源治正節織彦は弘化4年(1848年)に本殿・幣殿・拝殿と、惣門を改築、これらが現存しており、町の文化財に指定されている。
現在は、平田正重命・平田正澄命が配祀されている。また、50年ごとに遷宮が行われる。
例祭は10月中旬。秋季例大祭で、「ちょうさ」とよばれる約20台の太鼓台が乱舞する。スポットライトや提灯で飾られた夜の宮入りは圧巻。
境内社として、天満宮・八重垣神社・穣田乃磐座・松木神社・猿田彦神・荒魂神社・五十鈴神社・金刀比羅宮・八坂神社・天照皇太神宮などがある。
また、もともと椀貸塚古墳と関わりの深い応神社が、椀貸塚の東腹に鎮座していたため、当社創建時には、境界争いとなった。
結局は丸亀藩の裁定を仰ぎ、紛争は解決された。したがって、一見当社境内社に見える応神社は、当社とは別の神社で、現在は中姫八幡神社に所属している。
【ご利益】
厄災除け、五穀豊穣、安産

【関連記事】
・香川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、香川県に鎮座している神社の一覧
[電話]0875-54-4760
大野原八幡宮(おおのはらはちまんぐう)は、香川県観音寺市大野原町大野原にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。
大野原小学校の北西隣に鎮座し、本殿裏には椀貸塚古墳がある。大野原八幡神社とも。
京都鹿ケ谷で大名貸しをしていた平田与一左衛門正重が、讃岐丸亀藩初代藩主山崎家治の許可を得て、寛永20年(1643年)に当地・大野原で開墾事業を始めた。
工事着手に当たり、霊夢を見、一宮一刹を建立せよとの神託を受けた。これが当社と、当社の別当寺である慈雲寺となる。
当社は応神宮と称されたという。その後、3代平田源助正清が、京都石清水八幡宮から足仲日子命・誉田別尊・息長帯姫命を勧請。
元禄6年(1693年)、大野原正八幡宮として本殿・幣殿・拝殿を建立した。
宝永6年(1709年)秋の大祭から神幸祭が行われ、神輿3台、だんじり4台、獅子、鉄砲5挺、長刀、慈雲寺別当寺200名あまりの大行列で神事が行われたという。
平田家全盛時代の、10代源治正節織彦は弘化4年(1848年)に本殿・幣殿・拝殿と、惣門を改築、これらが現存しており、町の文化財に指定されている。
現在は、平田正重命・平田正澄命が配祀されている。また、50年ごとに遷宮が行われる。
例祭は10月中旬。秋季例大祭で、「ちょうさ」とよばれる約20台の太鼓台が乱舞する。スポットライトや提灯で飾られた夜の宮入りは圧巻。
境内社として、天満宮・八重垣神社・穣田乃磐座・松木神社・猿田彦神・荒魂神社・五十鈴神社・金刀比羅宮・八坂神社・天照皇太神宮などがある。
また、もともと椀貸塚古墳と関わりの深い応神社が、椀貸塚の東腹に鎮座していたため、当社創建時には、境界争いとなった。
結局は丸亀藩の裁定を仰ぎ、紛争は解決された。したがって、一見当社境内社に見える応神社は、当社とは別の神社で、現在は中姫八幡神社に所属している。
【ご利益】
厄災除け、五穀豊穣、安産

【関連記事】
・香川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、香川県に鎮座している神社の一覧
コメント