天霧山より出た雲からの雨が良好、食物神や水の神を祀る讃岐国の式内論社
雲氣神社(香川県善通寺市弘田町字鬼塚1105)
[住所]香川県善通寺市弘田町字鬼塚1105
[電話]-

雲氣神社(くもげじんじゃ、雲気神社)は、香川県善通寺市弘田町にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 讃岐国 多度郡「雲気神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

創建年代は不詳。当社の御祭神は 『香川県神社誌』によれば、豊宇気大神・大龍神・大雷神。その他、高靇神闇靇神天御中主神水波女神など諸説ある。

社号の由来は、『全讃史』によれば、標高360メートルの天霧山より出た雲によりよく雨が降るとのことから。

讃岐・香川にとっては、雨は死活問題であり、どちらかといえば、雨の神を祀ったもののようには思われる。

また、天霧山の他、我拝師山・中山・火上山にも囲まれた、田園のど真ん中に鎮座しているところから、食物神のイメージが定着したのだろうか。

当社の所在については 総本山善通寺伽藍に雲気明神を含む五社明神が祀られ、平安時代の天喜4年(1056年)の記録がある。

『讃岐生駒記』の金刀比羅宮の条には、金刀比羅宮がすなわち雲気神社であると記されてている。

中世以来、すでに小祠になっていたといわれるが、天正6年(1578年)、長宗我部軍の天霧城侵攻の際、兵火に罹り、社殿が焼失。

宝暦4年(1754年)になって、丸亀藩主京極高矩が雲気神の所在について調査し、現在地に社殿を再興した。

祭祀については 京極家において春秋2回執り行われ 藩主自らが公式参拝していたという。

なお、同じく京極高矩於が再興した式内社として、観音寺市粟井町上野に鎮座している於神社がある。

明治以降、廃藩の際に弘田村に祭祀権は委ねられたという。

なお、式内社「雲気神社」の論社は、先の金刀比羅宮の他に、仲多度郡まんのう町の雲氣八幡宮がある。

【ご利益】
武運長久・勝運、産業振興、天候、五穀豊穣
雲氣神社 香川県善通寺市弘田町
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