讃岐の寒川郡、伊勢・相模・下総との関連は? 蓑を作り始めた御祭神
[住所]香川県さぬき市寒川町石田東字蓑神甲1743
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大蓑彦神社(おおみのひこじんじゃ)は、香川県さぬき市寒川町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 讃岐国 寒川郡「大蓑彦神社」に比定される式内社(小社)。
創建年代は不詳。蓑神明神とも称す。当社の北方に寒川渕があり、名水で知られた。寒川郡の名はこれが起源だという。
御祭神は大蓑彦命。上古、蓑を作り始めた功績により称した神名だという。一説には素盞鳴命、また水霊神とも。
神名から、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の末社である那自賣神社の御祭神、大水上御祖命・大水上神を連想させるという。
また、郡名とも考えれば、やはり内宮末社の牟弥乃神社の御祭神である寒川比古命、寒川比女命とも関連する。
寒川比古命、寒川比女命で最も有名なのは、相模国一宮で、神奈川県寒川市に鎮座する寒川神社。さらに、千葉県千葉市中央区寒川町にも寒川神社がある。
平安時代の延喜21年(921年)3月に「大箕社」との記載があるという。永承4年(1049年)6月には仏舎利が下賜されたという。
戦国時代の天正10年(1582年)、長曽我部氏による戦火で焼失したが、江戸時代になり、寛文年間(1661年-1673年)に立て続けに社殿の造営があったようだ。別当は宝藏院末寺小倉寺。
かつては東の山の上に鎮座していたとされ、後世、現在地に遷座した。旧地は今「フルヤシロサン」と呼ばれているという。
現在地のちょうど東に剣山と呼ばれる山があり、頂上に金毘羅神社がある。また、南東の門入ダムの西側の山に、山上神社がある。
近代社格は不詳だが、いずれのかの時期に石田神社の境外末社になったため、列格されなかったとも考えられる。現在も石田神社の末社か、兼務神社のようだ。
例祭は10月第2土曜日。
【ご利益】
五穀豊穣、産業振興

【関連記事】
・香川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、香川県に鎮座している神社の一覧
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大蓑彦神社(おおみのひこじんじゃ)は、香川県さぬき市寒川町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 讃岐国 寒川郡「大蓑彦神社」に比定される式内社(小社)。
創建年代は不詳。蓑神明神とも称す。当社の北方に寒川渕があり、名水で知られた。寒川郡の名はこれが起源だという。
御祭神は大蓑彦命。上古、蓑を作り始めた功績により称した神名だという。一説には素盞鳴命、また水霊神とも。
神名から、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の末社である那自賣神社の御祭神、大水上御祖命・大水上神を連想させるという。
また、郡名とも考えれば、やはり内宮末社の牟弥乃神社の御祭神である寒川比古命、寒川比女命とも関連する。
寒川比古命、寒川比女命で最も有名なのは、相模国一宮で、神奈川県寒川市に鎮座する寒川神社。さらに、千葉県千葉市中央区寒川町にも寒川神社がある。
平安時代の延喜21年(921年)3月に「大箕社」との記載があるという。永承4年(1049年)6月には仏舎利が下賜されたという。
戦国時代の天正10年(1582年)、長曽我部氏による戦火で焼失したが、江戸時代になり、寛文年間(1661年-1673年)に立て続けに社殿の造営があったようだ。別当は宝藏院末寺小倉寺。
かつては東の山の上に鎮座していたとされ、後世、現在地に遷座した。旧地は今「フルヤシロサン」と呼ばれているという。
現在地のちょうど東に剣山と呼ばれる山があり、頂上に金毘羅神社がある。また、南東の門入ダムの西側の山に、山上神社がある。
近代社格は不詳だが、いずれのかの時期に石田神社の境外末社になったため、列格されなかったとも考えられる。現在も石田神社の末社か、兼務神社のようだ。
例祭は10月第2土曜日。
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