琴平町の如意山南西例に鎮座、神櫛皇子が奉斎し、死後に奉斎された式内社
櫛梨神社(香川県仲多度郡琴平町下櫛梨280)
[住所]香川県仲多度郡琴平町下櫛梨280
[電話]-

櫛梨神社(くしなしじんじゃ)は、香川県仲多度郡琴平町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 讃岐国 那珂郡「櫛梨神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

社伝によれば、第12代景行天皇の命を受けた神櫛皇子が、大魚を討つために土佐国から、舟に乗って当地へ来た時、雲が厚く、雨が降り、何も見えない状態になった。

そこで、皇子は小山に登り、天に乞うたところ、天から火が降りて来たという。

皇子はそこに舟をとどめ、祓戸神を祀った。これを般磐大明神という。船磐の地名は今も残り、舟形の大岩がある。

また、当地の神を祀るため、翁に、この地の神について尋ね、大麻神・大歳神、さらに、山下明神・諏訪明神を祀った。

船装束する時に、経津主神武甕槌神を祀った。これを赤坂大明神という。

当地には、関連して、船の苫を干した苫干場、櫂屋敷、船頭屋敷などが地名として残る。

その後無事に、大魚を討ち取って当地に城山を築き、讃岐国国造となった。

第14代仲哀天皇8年9月15日に120歳で亡くなった皇子を櫛梨山に葬り、廟を建てて祀ったのが当社の起源となる。

神櫛皇子の伝承は、県内の東かがわ市にある白鳥神社や、坂出市の城山神社、善通寺市の大麻神社(前述の大麻神か?)にも残る。その墓は、高松市牟礼町にある。

往古は皇宮大明神とも、大宮とも称された。もとは標高158メートルの如意山の山頂に鎮座していた。

その後、火災に遭い、現在地の如意山の西南麓に遷座したという。現在は、境内から如意山まで遊歩道になっている。

戦国時代の天正7年(1579年)、長曽我部元親の戦火で焼失。江戸時代になり、元和元年(1615年)、讃岐高松藩4代藩主生駒高俊が社殿を造営した。

寛文5年(1665年)には氏子中により、社殿が再建されている。

明治3年(1870年)には随神門を、明治43年(1910年)には本殿を、翌明治44年(1911年)には幣殿をそれぞれ改築。

大正6年(1917年)に社務所を新築した。また、明治・大正期に70柱あまりを合祀した。

例祭は10月第2土・日曜日。以前は当社に合祀された總社・大歳神社とともに神幸祭があった。

總社・当社・大歳神社の順に神輿の行列が整えられ、塩入村(仲南町)の御旅所に向かう。この間に、107の鳥居があったという。

江戸時代中期の安永年間(1772年-1781年)にはこの御神幸は中断している。

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櫛梨神社 - 琴平町の如意山南西例に鎮座、神櫛皇子が奉斎し、死後に奉斎された式内社
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