旧正月初子の日に高良大社と「子の日の松」、境内に式内豊比咩神社の論社
上津天満宮(福岡県久留米市上津町字本山2077)
[住所]福岡県久留米市上津町字本山2077
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上津天満宮(かみつてんまんぐう)は、福岡県久留米市上津町にある神社。菅原道真を祀る天神・天満宮の一つ。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

江戸時代前期の寛文10年(1670年)、当社宮司の河内宮内と当村庄屋の市右衛門が有馬藩に提出した報告書によると、当社は千束・本山・上津・二軒茶屋・野添の上津荒木の氏神。

社殿は2間に3間の茅葺、旧暦11月15日に村中で祭礼を行い、お供え上げ、御酒を供え、神楽を奉納したという。

鎮座の時期については、同書上でも不明とされ、中世までさかのぼることは確かという。境内は古代遺跡であり、縄文石器・弥生石器も出土している。

現在の社殿の建立時期も不明だが、鳥居・狛犬などの刻銘から文政年間(1818年-1831年)と推定されている。

旧正月初子の日に、氏子達が境内や付近の高良台より小松3本を根堀りし、高良大社前に運び、植える「子の日の松」の行事が伝わる。

もともとは正月初めの子の日に野山に出て小松3本を根引きし、若菜を引いて遊び、国家安泰を祈り、延命息災を祝って宴遊する平安貴族の遊び。

それがどうして当宮と高良大社の間で行われるようになったのかは不明だが、古くから行われ、明治に入って中断、昭和初期になって再開された。

境内社は北原社などの他、本殿東奥に三つの祠があり、中央が豊姫宮、別名を乙姫宮、向かって右が若宮八幡宮、左が大神社。

ともに上村(上津)区域に鎮座していたものを、大正14年(1925年)に現在地に移転したもの。

三社とも非常に立派な石祠だが、一際目立つ中央の社の御祭神は女神・安産の神である豊比咩命神で、高良大社の神である玉垂命神の配偶神と伝わる。

一説によれば、平安時代の天長4年(827年)の勧請ともいわれ、『延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 筑後国 三井郡「豊比咩神社」に比定される式内社(名神大社)の論社。

豊比咩命神は、一般的には豊玉姫命を連想させるが、高良大社の妃神と明確に規定されているのが、当社の特徴。石祠の中には、御神像が安置されている。

なお、式内社「豊比咩神社」の論社は他に、北野町大城の豊姫神社、北野町赤司の八幡神社、御井町にあったが戦後に廃社となった旧県社豊姫神社がある。

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