行橋、「猿田彦神は天照大神の分身」、宇佐神宮の放生会などで別格の崇敬
豊日別宮(福岡県行橋市南泉7-13-11)
[住所]福岡県行橋市南泉7-13-11
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豊日別宮(とよひわけぐう)は、福岡県行橋市南泉にある神社。豊日別命を祀る。近代社格では郷社。別名は豊日別神社、草場神社。御朱印の有無は不明。

行橋市の川の上遺跡は3世紀の墳墓群であり、後漢から三国時代の道鏡、勾玉、鉄刀などが出土している。行橋市には美夜古という別称があるという。

『豊前國風土記』にも、天孫邇邇杵命がここから出立して、日向の旧都に天降った地で、つまりは天照大神の神京であるとしている。

当社の創建は、飛鳥時代の第29代欽明天皇2年(541年)と伝わる。

筑紫の日別大神の神官である大伴連牟彌奈里に神託が下り、「私は佐留多毘古乃大神である。猿田彦神は天照大神の分身である」と。

そこで、豊日別命の本宮として、伊勢の神宮(伊勢神宮)を模した神宮を創建して、猿田彦神を別宮としたという。

ここでは、豊日別命は猿田彦神と同一神格としている。また、「天照大神の分身」というのも興味深い。

欽明天皇28年(567年)、洪水飢饉などが各地を襲ったが、当宮に祈願し、治まったといわれ、その後代々の天皇によって大和の霊跡、西海鎮護の神として尊崇されたという。

奈良時代の養老4年(720年)、大隅、日向の隼人が反乱したため、朝廷は大軍を派遣するとともに、宇佐八幡神に祈願してこれを討伐した。

これによって始まった宇佐神宮の放生会で、朝廷の勅使が一旦、当宮に官幣を奉安したことから、当宮は官幣宮とも呼ばれるようになった。

官幣奉安の間、田川郡採銅所(現 古宮八幡神社)では、宇佐神宮に奉納する神鏡を鋳造し、それを当宮でも奉斎し、当宮の神輿とともに陣列を組んで、宇佐への神幸が行われた。

道案内の神から、経由地に転じたという指摘もあるが、宇佐神宮と同等の待遇を得たとも読み取れる。

宇佐神宮に対して度々行われる官幣の奉納に際しては、その後も当宮が官幣奉安の宮居となった。

かつては官幣宮の他、左留多比古社・官幣大神宮・豊日別国魂宮などとも呼ばれた。明治6年(1873年)、郷社に列した。

例祭は9月1日。5月4日から2日間に渡って春季大祭が斎行され、神幸祭・汐かき神事が行われる。

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