大国主命と少名毘古那が逗留した地の土師庄鎮守、春秋に獅子舞
[住所]福岡県嘉穂郡桂川町土師3161
[電話]-
老松神社(おいまつじんじゃ)は、福岡県嘉穂郡桂川町土師にある神社。土師老松神社とも。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
社伝によれば、当社地はかつて大国主命と少名毘古那神が諸国巡回の折に逗留した地だという。
その後、第11代垂仁天皇の時代に、土師氏の一族がこの地に出雲大社の分社として建立したといわれる。
創建当時の社名は土師宮と称した。後世、大物主命・事代主命を合祀した。事代主命に関しては、明治期の合祀と伝わる。
平安時代の万寿元年(1024年)に土師郷(現 桂川町一帯)が安楽寺(太宰府天満宮)の荘園となった際に、菅原道真と吉祥女を合祀し、社名を老松大明神と改称した。
以降土師庄12ヶ村の総鎮守として篤く信仰され、隆盛を極めたという。
しかし戦国時代の天正15年(1587年)、豊臣秀吉による九州征伐の際、秋月氏16代当主秋月種実に味方したため、神領一切を没収され衰退した。
江戸時代になり、元和2年(1616年)、村民と図って社殿を再興、以降は土師村の鎮守神として村人からの崇敬を受けた。
元和2年の再興は、花房志摩守正成によるとされるが、当地に特にゆかりのない武将であり、誤りか。
例祭は4月第4日曜日と9月22日・23日。県の無形民俗文化財に指定されている「土師の獅子舞」が行われる。
この獅子舞は鎌倉時代の嘉暦3年(1328年)に始まったとされ、その歴史の長さから県下の獅子舞のルーツの一つとされている。
上土師地区と下土師地区が一年交代で担当しており、舞い方もそれぞれ異なる。
上土師の獅子舞は勇壮活発で力強い舞いで、下土師の獅子舞は優雅さの中にも「さび」のある舞いである。
境内社に、須賀神社・貴船神社・祇園神社・恵比須神社がある。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、病気平癒、無病息災、学業・受験合格

【関連記事】
・福岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、福岡県に鎮座している神社の一覧
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老松神社(おいまつじんじゃ)は、福岡県嘉穂郡桂川町土師にある神社。土師老松神社とも。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
社伝によれば、当社地はかつて大国主命と少名毘古那神が諸国巡回の折に逗留した地だという。
その後、第11代垂仁天皇の時代に、土師氏の一族がこの地に出雲大社の分社として建立したといわれる。
創建当時の社名は土師宮と称した。後世、大物主命・事代主命を合祀した。事代主命に関しては、明治期の合祀と伝わる。
平安時代の万寿元年(1024年)に土師郷(現 桂川町一帯)が安楽寺(太宰府天満宮)の荘園となった際に、菅原道真と吉祥女を合祀し、社名を老松大明神と改称した。
以降土師庄12ヶ村の総鎮守として篤く信仰され、隆盛を極めたという。
しかし戦国時代の天正15年(1587年)、豊臣秀吉による九州征伐の際、秋月氏16代当主秋月種実に味方したため、神領一切を没収され衰退した。
江戸時代になり、元和2年(1616年)、村民と図って社殿を再興、以降は土師村の鎮守神として村人からの崇敬を受けた。
元和2年の再興は、花房志摩守正成によるとされるが、当地に特にゆかりのない武将であり、誤りか。
例祭は4月第4日曜日と9月22日・23日。県の無形民俗文化財に指定されている「土師の獅子舞」が行われる。
この獅子舞は鎌倉時代の嘉暦3年(1328年)に始まったとされ、その歴史の長さから県下の獅子舞のルーツの一つとされている。
上土師地区と下土師地区が一年交代で担当しており、舞い方もそれぞれ異なる。
上土師の獅子舞は勇壮活発で力強い舞いで、下土師の獅子舞は優雅さの中にも「さび」のある舞いである。
境内社に、須賀神社・貴船神社・祇園神社・恵比須神社がある。
【ご利益】
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