室町期の遷座で地名残す、上社と下社、全国的に珍しい並列鳥居
[住所]鹿児島県枕崎市鹿篭麓町398
[電話]0993-72-2629
南方神社(みなみかたじんじゃ)は、鹿児島県枕崎市鹿篭麓町にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
室町時代の文安元年(1444年)、島津氏族伊集院煕久が、加世田市境の宇敷山山頂の諏訪社を現在地へ遷した。創建はそれよりもさかのぼることになる。
この遷座の際、御神体を山下門の氏子が背負い、途中休憩したと言われる木口屋には、諏訪平、鳥居迫の字名を残している。
上社に建御名方神を、下社に事代主命を奉斎し、諏訪神社と称し、鳥居が二基並立しているのが特色。並列鳥居は全国的にも珍しいとされる。
石段の右側に、坊津一乗院の末寺で真言宗の宝寿山神護院満願寺(寺料17石)があり、当社の別当寺で領主喜入家の祈願寺だったが、廃仏令により廃寺となった。
明治5年(1872年)、県から派遣された神官本田出羽守が臨検し、事代主命に代えて八坂刀売命を奉斎させ、現社号に改称した。例祭は10月28日。
明治42年(1909年)、大山積神社・立神神社・津留神社(熊野権現宮)・木原神社を合祀した。このうち、大山積神社は昭和21年(1946年)に復社している。
現在の社殿は、本殿が明治6年(1873年)、拝殿が昭和6年(1931年)にそれぞれ改築のものである。また、大正14年(1925年)には参道の石段が完成した。
境内社の淡島神社は江戸時代前期の寛永4年(1627年)、喜入忠高が紀州を勧請したもの。御祭神は少毘古那神。他に、菅原神社・稲荷社・水神社などがある。
なお、鹿児島県には諏訪大社系の神社が多数存在するが、ほとんどが南方神社(みなみかたじんじゃ)と名乗っているのは他地方に見られない特徴である。
一例に、指宿市、薩摩川内市、湧水町、阿久根市、鹿児島市(清水町・岡之原町・上福元町など)などに同名の神社がある。
【ご利益】
縁結び、夫婦和合、家内安全、病気平癒
【関連記事】
・鹿児島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、鹿児島県に鎮座している神社の一覧
[電話]0993-72-2629
南方神社(みなみかたじんじゃ)は、鹿児島県枕崎市鹿篭麓町にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
室町時代の文安元年(1444年)、島津氏族伊集院煕久が、加世田市境の宇敷山山頂の諏訪社を現在地へ遷した。創建はそれよりもさかのぼることになる。
この遷座の際、御神体を山下門の氏子が背負い、途中休憩したと言われる木口屋には、諏訪平、鳥居迫の字名を残している。
上社に建御名方神を、下社に事代主命を奉斎し、諏訪神社と称し、鳥居が二基並立しているのが特色。並列鳥居は全国的にも珍しいとされる。
石段の右側に、坊津一乗院の末寺で真言宗の宝寿山神護院満願寺(寺料17石)があり、当社の別当寺で領主喜入家の祈願寺だったが、廃仏令により廃寺となった。
明治5年(1872年)、県から派遣された神官本田出羽守が臨検し、事代主命に代えて八坂刀売命を奉斎させ、現社号に改称した。例祭は10月28日。
明治42年(1909年)、大山積神社・立神神社・津留神社(熊野権現宮)・木原神社を合祀した。このうち、大山積神社は昭和21年(1946年)に復社している。
現在の社殿は、本殿が明治6年(1873年)、拝殿が昭和6年(1931年)にそれぞれ改築のものである。また、大正14年(1925年)には参道の石段が完成した。
境内社の淡島神社は江戸時代前期の寛永4年(1627年)、喜入忠高が紀州を勧請したもの。御祭神は少毘古那神。他に、菅原神社・稲荷社・水神社などがある。
なお、鹿児島県には諏訪大社系の神社が多数存在するが、ほとんどが南方神社(みなみかたじんじゃ)と名乗っているのは他地方に見られない特徴である。
一例に、指宿市、薩摩川内市、湧水町、阿久根市、鹿児島市(清水町・岡之原町・上福元町など)などに同名の神社がある。
【ご利益】
縁結び、夫婦和合、家内安全、病気平癒
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