奥州津軽山から大隅まで下向した神、雄牛と麻と蝮の禁忌
[住所]鹿児島県霧島市国分広瀬1090
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大穴持神社(おなんじじんじゃ)は、鹿児島県霧島市国分広瀬にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 大隅国 囎唹郡「大穴持神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

創建年月は不詳。『国分諸古記』によると、大己貴命は昔奥州津軽山に鎮座していたが、西国に守護神が少ないため、勅命により西国の鎮守として下向したという。

奈良時代のこととされる。常陸国の橘氏、宮永氏四兄弟、岩元氏の一族など一行25人で神輿の前後を守護し、奥州水の渡、津軽山より負い下って、日向の串島に到着。

その後、福山まで来たが、よい舟がなく、敷根まで道を作ってやってきた。敷根から舟で大隅国福瀬の渡に着船、福島村に仮屋を建てた。

その後、今の広瀬にあたる小村に本宮を創建した。当地での方言による通称は「おなんじさあ」。

一方で、天平宝字8年(764年)12月、大隅・薩摩両国の堺に神造新島三島が出現した。今の隼人町邊田小島・沖小島・辮天島である。

当初、神造新島のうちの宮州というところに当社の神は鎮座したが、その後島くずれが起こり、その地が海中に没したため、現在地に移ったともいう。

大己貴命が農道を歩いている時、犢牛(コッテ牛、雄牛のこと)が突進してきたので、麻畑に逃れたところ、その麻畑にいた蝮に咬みつかれたという。

このため、当社の神は犢牛と麻と蝮を嫌い、当地では犢牛を飼ったり、麻を植えたりすると家が栄えないといわれた。

昔からこの集落には馬は多数飼われていたが、牛を飼う人はほとんどいなかったといわれる。また、この集落を中心に、天降川と検校川の間には蝮が生息しないとも伝わる。

幕末の弘化3年(1864年)に造営の記録がある。明治4年(1871年)5月に県社に列した。例祭は9月29日。現在は、少彦名命大歳命を配祀している。

境内社に日神社・月神社・稲荷神社・大田神社・大王神社がある。

【ご利益】
病気平癒、産業振興、開運招福、交通安全、厄災除け、縁結び
大穴持神社(霧島市) - 奥州津軽山から大隅まで下向した神、雄牛と麻と蝮の禁忌
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大穴持神社(霧島市)の御朱印