日本武尊が熊襲の様子を探った剱岩の山頂に奉斎、島津義久が再興
剱神社(鹿児島県霧島市国分敷根99)
[住所]鹿児島県霧島市国分敷根99
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剱神社(つるぎじんじゃ、剣神社)は、鹿児島県霧島市国分敷根にある神社。主祭神は日本武命。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。

古くは敷根の北西にそびえる剱岩山頂を琵琶甲(びわんく)または枇琶甲(びわんく)と言い、そこに石祠があり、拝殿が剱岩の麓にあった。

剱岩の名の由来は、日本武尊が熊襲征伐に際して熊襲の様子を探るために登り、剣を抱きながら野営をした故事に因むと伝わる。

あまり有力視されていないが、当社は、『延喜式神名帳』にある「韓国宇豆峯神社(大隅国・曽於郡)」の式内社(小社)に比定される場合がある。

宇豆峯、あるいは韓国岳の絶頂に鎮座していたこの式内社が、祭祀に不便だとして、当地に遷座して剱大明神となったという。

しかし、式内社「韓国宇豆峯神社」は通常、霧島市国分上井にある式内同名神社に比定される。

中世の長い期間にわたって、敷根氏がこの地を領していた頃は天満宮(天満天神)を深く崇敬して宗社としていたため、当社は自然に荒廃した。

文禄4年(1595年)、敷根氏は下大隅の田上城(現 鹿児島県垂水市)に移った。その後、島津氏16代当主島津義久が山田利安に命じて当社を再興させた。

江戸時代前期の延宝元年(1674年)12月、山頂から現在地に遷座した。

明治43年(1910年)10月25日には兵主神社・菅原神社・太玉神社・蛭子神社を合祀。現在は天児屋根命・剱彦神・大臼命・小臼命・太玉命・菅原道真公を配祀する。

例祭は3月18日。

神幸祭、御下りが伝わる。昔真夏に悪疫が流行して多くの死者が出たために当社に町中の巡幸を願い、お祓いをしてもらったのが起源。

この巡幸によって悪疫の流行が止まったことにちなんで、悪疫退散と健康を願う夏の祭りとして行われるようになったと伝える。

【ご利益】
病魔退散、健康長寿
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