鎌倉末期の観音像が御神体、室町期の観音堂が本殿の、安産の神
[住所]鹿児島県伊佐市大口白木813
[電話]-
白木神社(しらきじんじゃ)は、鹿児島県伊佐市大口白木にある神社。近代社格では無格社。御朱印の有無は不明。
平家滅亡後、平宗盛の曽孫清祖が、鎌倉時代末期の元享2年(1322年)、白木観音の像を守って京都を逃れ、出水郡の薩州山門院の港を経て当地に至った。
当地で泉寺院、後の長福寺を建立し、観音堂にこの観音像を安置したのが創祀。
像は、朝鮮新羅国の白椿なる香木を使ったという記録があり、新羅が白木と書かれるようになったともいわれる。
白木山長福寺という寺だったが、明治2年(1869年)に廃仏毀釈を逃れるために現社号を称し、神社となった。
観音像は、天草の住人である良眼坊が天草に避難させて難を逃れたという。明治25年(1892年)になってそれを取り戻し、当社に再び安置した。
長く観音堂として使われ、現存する本殿は応永15年(1408年)の建立で、県内では数少ない中世仏教建築物の遺例。観音像とともに県の文化財に指定されている。
御祭神は白木姫尊(しらきひめのみこと)で、昔から産婦の観音として、安産と、美女を出産できるご利益があるという。例祭は7月18日。
【ご利益】
安産、美女の子宝、子育て

【関連記事】
・鹿児島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、鹿児島県に鎮座している神社の一覧
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白木神社(しらきじんじゃ)は、鹿児島県伊佐市大口白木にある神社。近代社格では無格社。御朱印の有無は不明。
平家滅亡後、平宗盛の曽孫清祖が、鎌倉時代末期の元享2年(1322年)、白木観音の像を守って京都を逃れ、出水郡の薩州山門院の港を経て当地に至った。
当地で泉寺院、後の長福寺を建立し、観音堂にこの観音像を安置したのが創祀。
像は、朝鮮新羅国の白椿なる香木を使ったという記録があり、新羅が白木と書かれるようになったともいわれる。
白木山長福寺という寺だったが、明治2年(1869年)に廃仏毀釈を逃れるために現社号を称し、神社となった。
観音像は、天草の住人である良眼坊が天草に避難させて難を逃れたという。明治25年(1892年)になってそれを取り戻し、当社に再び安置した。
長く観音堂として使われ、現存する本殿は応永15年(1408年)の建立で、県内では数少ない中世仏教建築物の遺例。観音像とともに県の文化財に指定されている。
御祭神は白木姫尊(しらきひめのみこと)で、昔から産婦の観音として、安産と、美女を出産できるご利益があるという。例祭は7月18日。
【ご利益】
安産、美女の子宝、子育て

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