奈良期に六所大権現、鎌倉期に勅使下向、薩摩藩主が社殿を造営
[住所]鹿児島県鹿屋市吾平町麓
[電話]-
鵜戸神社(うどじんじゃ)は、鹿児島県鹿屋市吾平町麓の吾平総合支所(旧吾平町役場)の南隣にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。
創祀年代は不詳。彦波瀲武鵜茅草葺不合尊の陵墓吾平山上陵が村内鵜戸山上にあったため、尊を祀ったのが始まり。
御祭神は、彦波瀲武鵜茅草葺不合尊・玉依姫命・彦五瀬命・稲飯命・三毛入野命・神日本磐余彦尊の6柱で、鵜戸六所権現と称される。
当初は吾平山上陵の東側に位置し、かつては鵜殿神社などと称され、奈良時代の天平19年(747年)に「六所大権現と号した」という記録がある。
宝殿(本殿)は平安時代の長久4年(1043年)の建立とされる。鎌倉時代の弘安3年(1280年)2月10日、勅使の下向があったという。
しかし、戦国時代の享禄4年(1531年)、火災により焼失。荒廃したものを、大脇大膳という者が荒蕪地を開き、小社を営んだという。
社殿は、江戸時代前期の寛文年間(1661年-1673年)に薩摩藩3代藩主島津綱貴が、宝殿と拝殿は明和5年(1768年)に8代藩主島津重豪がそれぞれ造営した。
『三国名勝図会』にはこの頃の様子が挿絵とともに紹介されている。
明治4年(1871年)に災害により八幡神社があった現在地へ仮遷座したが、その後も帰社せず、八幡神社は同年中に上名中福良に遷座した。
明治6年(1873年)に郷社に列し、明治45年(1912年)7月2日、無格社御年神社を合祀した。
昭和39年(1964年)には本殿・舞殿を新築して現在に至る。例祭は10月19日。
【ご利益】
子宝、子育て、安産、家内安全(公式HP)
【関連記事】
・鹿児島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、鹿児島県に鎮座している神社の一覧
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鵜戸神社(うどじんじゃ)は、鹿児島県鹿屋市吾平町麓の吾平総合支所(旧吾平町役場)の南隣にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。
創祀年代は不詳。彦波瀲武鵜茅草葺不合尊の陵墓吾平山上陵が村内鵜戸山上にあったため、尊を祀ったのが始まり。
御祭神は、彦波瀲武鵜茅草葺不合尊・玉依姫命・彦五瀬命・稲飯命・三毛入野命・神日本磐余彦尊の6柱で、鵜戸六所権現と称される。
当初は吾平山上陵の東側に位置し、かつては鵜殿神社などと称され、奈良時代の天平19年(747年)に「六所大権現と号した」という記録がある。
宝殿(本殿)は平安時代の長久4年(1043年)の建立とされる。鎌倉時代の弘安3年(1280年)2月10日、勅使の下向があったという。
しかし、戦国時代の享禄4年(1531年)、火災により焼失。荒廃したものを、大脇大膳という者が荒蕪地を開き、小社を営んだという。
社殿は、江戸時代前期の寛文年間(1661年-1673年)に薩摩藩3代藩主島津綱貴が、宝殿と拝殿は明和5年(1768年)に8代藩主島津重豪がそれぞれ造営した。
『三国名勝図会』にはこの頃の様子が挿絵とともに紹介されている。
明治4年(1871年)に災害により八幡神社があった現在地へ仮遷座したが、その後も帰社せず、八幡神社は同年中に上名中福良に遷座した。
明治6年(1873年)に郷社に列し、明治45年(1912年)7月2日、無格社御年神社を合祀した。
昭和39年(1964年)には本殿・舞殿を新築して現在に至る。例祭は10月19日。
【ご利益】
子宝、子育て、安産、家内安全(公式HP)
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