大竹村が安土桃山期から崇敬、明治期に村の単独の氏神に
[住所]神奈川県秦野市西大竹281-1
[電話]0463-81-1122 - 御嶽神社
西大竹嶽神社(にしおおたけたけじんじゃ)は、神奈川県秦野市西大竹にある神社。正式には単に嶽神社。御霊社とも呼ばれる。御朱印の有無は不明。
もともと大竹村は、鶴疇山(つるとしやま)の八幡宮(現 尾尻八幡神社)の氏子であったが、正保年間(1645年-1648年)、尾尻村より分村した。
安土桃山時代より尊崇が続いていた御霊社を氏神として、享保初期(1716年-1736年)にも分村はあったが、村民は両社を崇敬していた。
当社の御祭神は日本武之命。例祭は4月11日で、神輿渡御が行われる。神輿は屋根に破風がついている、秦野の神輿の中でも異彩を放つ古神輿。
明治4年(1871年)4月、産土神への名簿納めが戸籍代わりになり、同年7月4日、御霊社から現社号に改称した。
ただし、大竹村では、当社と八幡宮の二つに名簿納めしたことから、係争に発展したものの、結局、八幡宮は尾尻村、当社は大竹村の鎮守となることで落ち着いた。
明治22年(1889年)5月11日、社殿も多くの彫刻が入れられ、完成した。昭和53年(1978年)4月、大改修が行われ、現社殿となった。
当社境内には、南はだの村七福神めぐりにおける「親子鶴の子鶴」が設置されている。
現在は、秦野市平沢の御嶽神社の兼務神社である。
【ご利益】
地域安全、地域振興、家内安全

【関連記事】
・神奈川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、神奈川県に鎮座している神社の一覧
[電話]0463-81-1122 - 御嶽神社
西大竹嶽神社(にしおおたけたけじんじゃ)は、神奈川県秦野市西大竹にある神社。正式には単に嶽神社。御霊社とも呼ばれる。御朱印の有無は不明。
もともと大竹村は、鶴疇山(つるとしやま)の八幡宮(現 尾尻八幡神社)の氏子であったが、正保年間(1645年-1648年)、尾尻村より分村した。
安土桃山時代より尊崇が続いていた御霊社を氏神として、享保初期(1716年-1736年)にも分村はあったが、村民は両社を崇敬していた。
当社の御祭神は日本武之命。例祭は4月11日で、神輿渡御が行われる。神輿は屋根に破風がついている、秦野の神輿の中でも異彩を放つ古神輿。
明治4年(1871年)4月、産土神への名簿納めが戸籍代わりになり、同年7月4日、御霊社から現社号に改称した。
ただし、大竹村では、当社と八幡宮の二つに名簿納めしたことから、係争に発展したものの、結局、八幡宮は尾尻村、当社は大竹村の鎮守となることで落ち着いた。
明治22年(1889年)5月11日、社殿も多くの彫刻が入れられ、完成した。昭和53年(1978年)4月、大改修が行われ、現社殿となった。
当社境内には、南はだの村七福神めぐりにおける「親子鶴の子鶴」が設置されている。
現在は、秦野市平沢の御嶽神社の兼務神社である。
【ご利益】
地域安全、地域振興、家内安全

【関連記事】
・神奈川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、神奈川県に鎮座している神社の一覧
コメント