もとは藤沢の氏神である撥塚山王権現社、別地山王社として遷座
[住所]神奈川県藤沢市大鋸3ー2ー29
[電話]0466-26-0743 - 諏訪神社
山王神社(さんのうじんじゃ)は、神奈川県藤沢市大鋸にある神社。正式には別地山王社(わけちさんのうしゃ)。御朱印の有無は不明。
徳川家康が江戸に入封すると、京との往来のために、慶長元年(1596年)に藤沢御殿が藤沢の氏神である撥塚山王権現社の神域、現在の藤沢公民館の北に造られた。
当社のもととなる山王社は、慶長以前にすでに創立していたことになる。藤沢宿西村の鎮守だった。御祭神は、大巳貴命。例祭は6月14日。
その後、寛永11年(1634年)に3代将軍徳川家光が、朝廷より太政大臣という最高官位を授かるために江戸より上洛するにあたり、御殿が新築された。
そこで、山王権現社は坂戸町の西の丘、現在の藤沢高校跡に遷座。しかし、藤沢宿西村・大鋸・大久保町辺りの住民から、参拝するのに遠くなるとの声が多く出た。
そこで遊行寺の寺領であり、鎌倉山之内往還の街道筋の現在地に新たに別社を勧請し、別地山王社、つまり当社が造営された。
遷座は、江戸時代中期の安永年間(1772年-1781年)とも伝わる。であれば、西の丘の遷座から150年後の話であり、氏子の苦情をこれほどの長期間放置したとも考えづらい。
なお、もとの撥塚山王権現社はその後、その所在地が山王山などとも呼ばれたが、明治に入り、白幡神社に合祀されたという。
その後、昭和初期に北側の大門町と南側の感応院寺領の大鋸瑞光の一部地域が合併し、町内会が結成され、大光町内会が発足、当社は大光町の氏神となった。
社殿横には庚申塚があり、また境内には大光町会館が建っている。境内社として、稲荷神社ともう一社ある。現在は、大鋸の諏訪神社の兼務神社である。
【ご利益】
五穀豊穣・縁結び

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・神奈川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、神奈川県に鎮座している神社の一覧
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山王神社(さんのうじんじゃ)は、神奈川県藤沢市大鋸にある神社。正式には別地山王社(わけちさんのうしゃ)。御朱印の有無は不明。
徳川家康が江戸に入封すると、京との往来のために、慶長元年(1596年)に藤沢御殿が藤沢の氏神である撥塚山王権現社の神域、現在の藤沢公民館の北に造られた。
当社のもととなる山王社は、慶長以前にすでに創立していたことになる。藤沢宿西村の鎮守だった。御祭神は、大巳貴命。例祭は6月14日。
その後、寛永11年(1634年)に3代将軍徳川家光が、朝廷より太政大臣という最高官位を授かるために江戸より上洛するにあたり、御殿が新築された。
そこで、山王権現社は坂戸町の西の丘、現在の藤沢高校跡に遷座。しかし、藤沢宿西村・大鋸・大久保町辺りの住民から、参拝するのに遠くなるとの声が多く出た。
そこで遊行寺の寺領であり、鎌倉山之内往還の街道筋の現在地に新たに別社を勧請し、別地山王社、つまり当社が造営された。
遷座は、江戸時代中期の安永年間(1772年-1781年)とも伝わる。であれば、西の丘の遷座から150年後の話であり、氏子の苦情をこれほどの長期間放置したとも考えづらい。
なお、もとの撥塚山王権現社はその後、その所在地が山王山などとも呼ばれたが、明治に入り、白幡神社に合祀されたという。
その後、昭和初期に北側の大門町と南側の感応院寺領の大鋸瑞光の一部地域が合併し、町内会が結成され、大光町内会が発足、当社は大光町の氏神となった。
社殿横には庚申塚があり、また境内には大光町会館が建っている。境内社として、稲荷神社ともう一社ある。現在は、大鋸の諏訪神社の兼務神社である。
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