山形肘折温泉、湯坐神社・薬師神社とも、共同浴場「上ノ湯」の隣に鎮座
[住所]山形県最上郡大蔵村南山
[電話]-
湯座神社(ゆざじんじゃ)は、山形県最上郡大蔵村南山にある神社。湯坐神社、薬師神社とも。古来より湯治場として知られた肘折温泉の神。御朱印の有無は不明。
南北朝時代末期の明徳元年(1390年)創建とされる。主祭神は温泉の神としての薬師如来。
一説には、肘折温泉の開湯年次を明徳元年とする説があり、当社を、肘折開湯時に建立されたとする。
だが、肘折温泉では平安時代の大同2年(807年)開湯説が広く信じられており、平成19年(2007年)には「開湯1200年祭」が開催された。
共同浴場である「上の湯(上ノ湯)」横から階段を上がったところに鎮座する。
ある時、江戸時代中期とも言われるが、上ノ湯の源泉があるとき突如止まってしまい、困った村人が源泉を掘り返すと一つの石が出土し、それを持ち上げると湯が再び湧き出した。
この石をよく見ると神仏のような姿をしていたため、村人が京都に赴き、専門家に鑑定してもらうと、「これは薬師様なので大切に奉るように」との結果が出た。
そのため、上ノ湯の上に社を立てて御神体として安置したという。
境内入口には、火防の御利益がある「秋葉山石碑」が建てられている。瑞鳳寺の南山和尚の揮毫で、「火禾葉山」と書かれている。
江戸時代中期、肘折温泉では大火が頻発したことから、肘折温泉がある南山の地名にちなみ、村民有志が瑞鳳寺に赴いて南山和尚にお願いして書いてもらったという。
村民が「秋」ではなく「火禾」である理由を問うたところ、南山和尚は、「秋とは紅葉であり、紅葉は火に通ず。よって火除けのために秋を逆に書いた」と答えたという。
例祭は8月20日、「湯坐神社祭」とも。社殿は入母屋、瓦葺き、3間2間、1間向拝の比較的小規模なものだが、石碑も多く、例祭には多くの崇敬者が集まるという。
当社は、肘折温泉開湯の地と伝えられる「地蔵倉」へと向かう遊歩道の起点にもなっている。
【ご利益】
病気平癒、身体壮健、健康長寿

【関連記事】
・山形県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、山形県に鎮座している神社の一覧
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湯座神社(ゆざじんじゃ)は、山形県最上郡大蔵村南山にある神社。湯坐神社、薬師神社とも。古来より湯治場として知られた肘折温泉の神。御朱印の有無は不明。
南北朝時代末期の明徳元年(1390年)創建とされる。主祭神は温泉の神としての薬師如来。
一説には、肘折温泉の開湯年次を明徳元年とする説があり、当社を、肘折開湯時に建立されたとする。
だが、肘折温泉では平安時代の大同2年(807年)開湯説が広く信じられており、平成19年(2007年)には「開湯1200年祭」が開催された。
共同浴場である「上の湯(上ノ湯)」横から階段を上がったところに鎮座する。
ある時、江戸時代中期とも言われるが、上ノ湯の源泉があるとき突如止まってしまい、困った村人が源泉を掘り返すと一つの石が出土し、それを持ち上げると湯が再び湧き出した。
この石をよく見ると神仏のような姿をしていたため、村人が京都に赴き、専門家に鑑定してもらうと、「これは薬師様なので大切に奉るように」との結果が出た。
そのため、上ノ湯の上に社を立てて御神体として安置したという。
境内入口には、火防の御利益がある「秋葉山石碑」が建てられている。瑞鳳寺の南山和尚の揮毫で、「火禾葉山」と書かれている。
江戸時代中期、肘折温泉では大火が頻発したことから、肘折温泉がある南山の地名にちなみ、村民有志が瑞鳳寺に赴いて南山和尚にお願いして書いてもらったという。
村民が「秋」ではなく「火禾」である理由を問うたところ、南山和尚は、「秋とは紅葉であり、紅葉は火に通ず。よって火除けのために秋を逆に書いた」と答えたという。
例祭は8月20日、「湯坐神社祭」とも。社殿は入母屋、瓦葺き、3間2間、1間向拝の比較的小規模なものだが、石碑も多く、例祭には多くの崇敬者が集まるという。
当社は、肘折温泉開湯の地と伝えられる「地蔵倉」へと向かう遊歩道の起点にもなっている。
【ご利益】
病気平癒、身体壮健、健康長寿

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