大阪の役で敵とともに誤って観音菩薩像を斬った武士が創祀
西山愛宕神社(山形県新庄市十日町6720)
[住所]山形県新庄市十日町6720
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西山愛宕神社(にしやまあたごじんじゃ)は、山形県新庄市十日町にある神社。近代社格では無格社。御朱印の有無は不明。

新庄市の西郊、下西山集落の裏山に鎮座する。愛宕神社として火防のみならず、下西山地区の鎮守として、地域の人々に大切にされている。

標高126メートルあまりの小山全体が境内である。神社の入口に鳥居があり、石段を上った山頂に流造の本殿が存在する。参道の左右にスギの巨木が林立している。

社伝によると、東国武士であった、清海の子孫によって建立されたと伝えられる。火防の神である愛宕神を祀る。

御神体は馬に乗った神の木像とされ、真夜中に白馬に乗り、白衣姿でおみ坂を上り下りするという言い伝えがある。

それによると、清海は慶長19年(1614年)11月-慶長20年(1615年)5月の大坂の役に出陣した折、誤って観音菩薩像を敵兵もろとも斬ってしまった。

戦後、それを悔いて剃髪し、京都愛宕山白雲寺の愛宕大権現を奉じ、常陸国に住み着いた。

そこで当時常陸松岡藩を領していた戸沢政盛に召抱えられ、やがて、戸沢政盛の国替えにしたがって新庄藩領へと移った。

清海は谷地郷(現 村山市大久保)に住み着き、当地で没した。今に残る大久保村の清海壇は、清海の墓所と伝わる。

後年、彼の子孫が下西山に移住した際に、大久保の愛宕を勧請して西山に祀ったという。

【ご利益】
火防、地域安全、五穀豊穣
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