承久の乱で佐渡配流の順徳天皇、御所・陵墓伝承と修験道
御所神社(尾花沢市正厳)
[住所]山形県尾花沢市大字正厳字宮原746-9
[電話]0237-22-1111

御所神社(ごしょじんじゃ)は、山形県尾花沢市正厳にある神社。近代社格では郷社。「御所宮」とも称される。御朱印の有無は不明。

創建年代は不詳。御祭神は順徳天皇であるが、丹生川や御所山にまつわる水神、農業神も合わせて崇拝している。

摂社には、修験道の創始者である役小角を御祭神としているものがあり、当社が、かつては御所山にまつわる修験道の拠点だったことを偲ばせる。

社記によると、承久3年(1221年)の承久の乱で倒幕に失敗、順徳天皇(乱以前に退位して順徳上皇)が佐渡に流され、その地で崩じた。

それに供奉していた阿部常次郎頼時という北面武士が、丹生川の水上御所で故院の尊顔を拝し、当地に霊廟を建立し、御所山の神として祀ったのに始まると伝える。

また、阿部頼時が密かに順徳天皇を佐渡から脱出させて御所山に奉じ、その後麓に移り住んで宮沢の地を御所と定め、崩御するまでこの地に隠棲したという伝承もある。

それによると、当社がある地は、順徳天皇の御所があったことから「正厳」と名付けられ、近くには順徳天皇の御陵と伝えられる天子塚(王子塚)が存在する。

御所山の直麓にあたる尾花沢市鶴子にも同種の伝説を有する同名神社があり、屋敷平、御所宮、アマブタといった地名も残されている。

阿部頼時は、寛元4年(1246年)の順徳天皇の崩御後に法師となって当社を創建し、頼時の末裔が代々神社の管理を行ったという。

一方、これとは別に、丹生都比売(にうつひめ)に縁起を求める説もある。

当地では丹生都比売は稚日女命のことであると伝え、句呉王太伯の末裔で日本に渡来したが、素戔嗚尊の狼藉により、機織器で陰部を串刺しにされて亡くなった、天の服織女。

素戔嗚尊の姉天照大神がその報に接し、天岩戸に引きこもった原因となった女神(『古事記』該当部分)。

当社一帯は、古来より「丹生」と呼ばれているが、丹は弁柄の原料で、朱色を作り出す赤色顔料であり、「丹生」とは水銀を含む赤土(丹)が採掘される場所。

丹の採掘される地には丹生都比売神が祀られることが多いが、高野山の丹生都比売神社など、修験道と関係するものであることが知られる。

また水神である水分神(みくまりのかみ)としても修験道に縁の深い神である。

神仏習合の時代は、丹生山普明院神宮寺という別当寺があり、吉野山金峯山寺を本山とする吉野派に属し、神宮寺と、尾花沢にある修験3寺で山岳修験の山である御所山の管理を行っていた。

明治時代になると、神仏分離により寺号を廃して神社となり、明治6年(1873年)に郷社に列した。

【ご利益】
諸願成就、身体壮健
御所神社(尾花沢市正厳) - 承久の乱で佐渡配流の順徳天皇、御所・陵墓伝承と修験道
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