飛鳥朝開山の強盛誇った朝日修験、8月に長大・勇壮な黒獅子舞
[住所]山形県長井市寺泉2303
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五所神社(ごしょじんじゃ)は、山形県長井市寺泉にある神社。御朱印の有無は不明。

縁起書によれば、飛鳥時代、天武天皇の治世、白鳳8年、朝日嶽・岩上嶽(祝瓶山)に役行者が参籠・修行し、開山したという。

その後、奈良時代、聖武天皇の治世、天平3年(731年)に川口寺が建立され、宝亀5年(774年)には桑沢口に岩上寺が建立された。

その後400年の繁栄が続いたが、平安時代の天喜年間(1053年-1058年)、前九年の役により朝日、岩上の霊地は衰退の一途をたどっていた。

再び出羽国を訪れた源義家は、寛治4年(1090年)、当麻秀則を遣わし、祭地青木野に朝日岳大日霊貴命月ヶ峰月読命・岩上別雷神・小朝日金山彦命三渕建御名方命の五ヶ所の尊霊を移し、合祭した。

これが朝日山五所大明神である。この時から地名も五祭所と改められ、一郷の産土氏神として奉斎し、当麻秀則に永く留まらせ、祠を守らせた。

東北地方では神社の祭祀に修験者が関わってきた例が多く見られ、当社も古くから代々、修験東性院が別当として祭祀に関わってきた。

羽黒派十二先達の一つである東性院は、天長年間(824年-834年)に寺泉村の道者屋敷に、岩上寺を開いた宥善法師を開基とする。

明治初年の神仏判然令の影響下、明治3年(1870年)に復飾し神主となった永恭まで、46代にわたって相続してきたと伝えられている。

中世、朝日岳を中心に朝日修験が盛んであったが、羽黒修験との勢力争いに敗れ、衰退したとされる。

鎌倉時代、朝日山地周辺には、平氏の残党などが山伏となり、横暴を極めたので、北条氏が千年封じを実施したとの伝説がある。

その際に、僧坊を破毀、仏像を川に投棄するなどの弾圧により、朝日山地の信仰は衰え、朝日修験の勢力も弱体化したと言われている。

東性院も、朝日山五所大明神の別当を代々務めてきていたことから、当初は朝日修験であったものが、時代を下るなかで羽黒修験となったものと考えられる。

当社には三渕(みぶち)の神が祀られている。『卯の花姫伝説』では、前九年の役で敗れた悲運の武将、安倍貞任の娘、卯の花姫が三渕の滝に身を投げ、龍神となって祀られたもの。

市では約40の神社において勇壮な黒獅子祭が行われているが、当社の黒獅子祭の時には、この龍神が雨を降らせ、最上川支流の野川を波飛沫をあげて下ってくるといわれる。

その姿を演じたものが黒獅子舞といわれ、伝承のごとく黒獅子舞の10メートルもの大幕には水流の激しさを表す水玉の波飛沫と波模様が染め描かれている。

例祭は8月14日・15日。先述の通り、「ながい黒獅子まつり」で、荒々しく、勇ましい獅子舞。

警護が獅子の前進を制している時、獅子は盛んに闘志を表して千鳥を踏み、警護の前に踊り出ようとするところが見どころ。

【ご利益】
身体壮健、病魔退散、無病息災
五所神社(長井市) - 飛鳥朝開山の強盛誇った朝日修験、8月に長大・勇壮な黒獅子舞
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