出羽三山の登山口、秘伝の豆腐「六浄豆腐」、重文の社殿と太々神楽
[住所]山形県西村山郡西川町大字岩根沢95
[電話]0237-74-4732

岩根沢三山神社(いわねさわさんざんじんじゃ)は、山形県西村山郡西川町にある神社。近代社格では無格社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

岩根沢三山神社は通称で、正式社号は「月山神社出羽神社湯殿山神社摂社 月山出羽湯殿山三神社(旧日月寺)」。

出羽三山の羽黒山山頂にある、出羽三山神社が管理しており、出羽三山神社岩根沢社務所とも呼ばれている。

もとは長耀山日月寺という天台宗寺院であり、月山神社の別当寺であった。

岩根沢は、西川町中心部の間沢から北へと山間部に進んだ奥にある。ここから月山への登山道があるため、出羽三山への主要な登山口となっている。

岩根沢地区は、現在も当社の門前町の色彩を色濃く残している。

神社前には宿坊が立ち並んでおり、出羽三山の行者が当地に伝えたとされる秘伝の豆腐「六浄豆腐」が作られている。

「六浄豆腐」は全国でも、現在では岩根沢でしか見られない。

南北朝時代末期の嘉慶元年(1387年)、日月寺は清亮による開基とされる。修験道では月山の登拝口として重視されるとともに、月山神社の別当寺として篤く信仰された。

月山の御祭神である月読神の本地仏として、阿弥陀如来への信仰も篤かった。

当初は真言宗であったが、江戸時代初期に、羽黒山寂光寺(現 出羽神社)の天宥上人が、当時徳川家に保護されていた天台宗に注目して改宗、日月寺も同宗に改宗、輪王寺の直末寺となった。

天宥上人は日月寺の出身であったため、湯殿山派諸寺が江戸期の改宗に関わる騒動以降、寂光寺との対立が絶えなかったのに対し、羽黒山と月山は良好な関係を保った。

寂光寺の僧が江戸に出かける際は、行者装束で寂光寺から月山へ登り、日月寺にて旅装に改めてから江戸へと旅立ったという。

日月寺の伽藍は火災によりたびたび焼失している。記録にあるだけでも、寛文7年(1667年)、延享元年(1744年)、天保7年(1836年)と3度焼失している。

現存の建物は、天保12年(1841年)に建立されたものである。

明治時代初期の神仏分離令により、明治3年(1870年)、寺号を廃して神社となった。

その際、出羽三山神社岩根沢社務所が設置され、出羽神社と湯殿山神社の御祭神も、あわせて主祭神となった。

御祭神は、月山として月読神、羽黒山として稲倉魂命湯殿山として大山祇神大己貴命少彦名命

羽黒山が、いち早く神社への転換を行った結果、多くの地域では、廃仏毀釈が極端になり、寺社文物ともに破却されたのに比べると、当社の伽藍は良好な状態で残った。

本殿、旧日月寺本堂が、国の重要文化財に指定されている。仏堂、客殿、座敷、庫裏などを、全て一つの建物内に納めた複合建築とする点に特色がある。

寄棟造、一部2階建、桁行66.9メートル、梁間22.5メートルという大規模な建築物で、東北地方では最大規模の木造建築物である。

西側の2本の柱には、等身大の恵比寿・大黒天の木像が安置され、本殿正面にある梁に、龍や司馬光甕破りの彫刻などが残されており、高山文五郎作と伝えられている。

境内には他に、山門、鐘楼やもとの地蔵堂である祖霊社、墓地などがある。

例祭は9月13日で、例大祭。当社や、当社の境内社で、もとの大日堂である要害神社で、「岩根沢三山神社太々神楽」が奉納される。

この神楽は、神仏分離で当社が神社になったことを記念し、福島県伊達郡から伝えられた里神楽であると言われており、山形県では珍しい出雲流神楽である。

【ご利益】
身体壮健、病魔退散、病気平癒
岩根沢三山神社 - 出羽三山の登山口、秘伝の豆腐「六浄豆腐」、重文の社殿と太々神楽
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