7月にペット供養祭、奈良期から平安期の伝承?高安犬とその後日譚
[住所]山形県東置賜郡高畠町高安910
[電話]0238-52-0229

犬の宮・猫の宮(いぬのみや・ねこのみや)は、山形県東置賜郡高畠町高安にある神社。犬の宮と猫の宮という二つの神社で、両社は隣接している。御朱印の有無は不明。

それぞれ愛犬・愛猫の供養と健康祈願で、写真や首輪を奉納する参拝者が多い。冬期間は積雪で立ち入りできない場合がある。

両社にペットの遺品を奉納して供養を願う者が多かったことから、昭和63年(1988年)より、毎年7月第4土曜日に、犬の宮の前で全国ペット供養祭が行われるようになった。

別当寺院住職の読経により、全国のペットと、参列希望者のペットの供養が執り行われる。

両社の間には、タコ杉と呼ばれる樹齢1000年を超えるとされる老スギがある。タコの足のように根の部分がくねくねとしていることから名付けられた。

両社ともペットのみならず、子どもの成長を見守る守護神でもあることからか、地元ではこの老スギは「子育てのスギ」として知られる。

なお、ペットに関する神社としては他に、神奈川県座間市に鎮座する座間神社の境内社伊奴寝子社がある。

犬の宮の由緒

高安村は年貢を納めずに田畑を耕し、村人は生活していた。ある年のこと、毎年の春と秋に2人ずつ子供を年貢として、都の役人に差し出せと言ってきた。

役人は「この事は、甲斐国の三毛犬、四毛犬には伝えるな」と言い立ち去った。村人達は大変困り、悲しんだ。

ある時、文殊様へお参りを済ませて帰ろうとしていた座頭が道に迷い困ってた。日も暮れ疲れを感じた座等は一夜泊めてくれと村人に頼んだ。

頼んだ家は、ちょうど今年に年貢を差し出す家だった。座頭は、そのおかしな年貢の話を聞いて、甲斐国へ行き、2匹の犬を探して連れてきて村に帰ってきた。

座頭は村人達に、その犬と悪魔退散の策を教え村を去った。さっそく村人達は、役人達を酒の席に招待して酒を飲ませた。

役人達が酒で酔っ払った時に、三毛犬と四毛犬をその酒の席に放った。その場は大乱闘になった。

しばらくして騒ぎが収まった頃に、酒の席へ行ってみるとそこには役人ではなく、2匹の大狸とその仲間の狸だった。

そしてその傍らには傷ついた三毛犬と四毛犬がいた、手当をしたが2匹とも間もなく死んだ。

「この村を救った2匹の犬を、村の鎮守とせよ」と座頭のお告げにより、その犬をまつったのが犬の宮。

和銅年間(708年-715年)の話というから、奈良時代の草創期。さすがにそれはさかのぼり過ぎか。登場人物が座頭というから、いきなり近世になる。

ともかく、この逸話は、高安犬(こうやすけん、こうやすいぬ)の由来を伝えたもの。高安犬はすでに絶滅しているが、犬の宮の狛犬として安置されている。

また、この話は、鶴岡市馬町の椙尾神社に伝わるめっけ犬伝説と、それが起源となった6月に行われる大山犬祭りの由来と類似、というか、ほぼそのまま。

静岡県磐田市の矢奈比賣神社に伝わる霊犬悉平太郎の伝承とも類似している。

戸川幸夫の直木賞受賞作となった『高安犬物語』は、高安犬の最後の1頭とされた「チン」の姿を描いた作品である。

なお、犬に関する伝承と神社としては他に、秋田県大館市葛原の老犬神社がある。

猫の宮の由緒

この村には信心深い庄屋夫婦がいた。2人には子供がいなかったので、猫を飼っていた。

しかし飼っている猫は病気ですぐ死んでしまったので、2人は丈夫で健康な猫を授かるように観音様に祈った。

そしてある夜に、観音様が夢枕に立ち「猫を与えるから大切に育てよ」とお告げがあった。2人は授かった猫に「玉」と名づけ大変可愛がった。

長い間この猫を育てていると、不思議なことに何処へ行くにしても傍らを離れず着いてきて、何物かを狙うがの如く睨むようになった。

そのあまりにも異常な行動に、庄屋は気持ち悪くなり、思いあまって懐に隠していた刃物で猫の首を切り捨ててしまった。

ところが猫の首は天井裏へ飛んで行き、隠れていた大蛇に噛み付き殺した。この大蛇は70年前に三毛犬と四毛犬によって殺された狸の怨念の姿だったという。

猫は観音様の化身で庄屋夫婦を守っていた。村人は庄屋を救った猫のため、観音堂を建て供養した。それが現在の猫の宮だという。

三毛犬と四毛犬の話の続きになっているところが興味深い。年代として、和銅年間の70年後だから、今度は平安時代草創期にあたる。

【ご利益】
ペットの健康祈願、供養
犬の宮・猫の宮 - 7月にペット供養祭、奈良期から平安期の伝承? 高安犬とその後日譚
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