鳥海山の稲倉岳から飛来した宝剣を奉斎、平安初期に創建された式内古社
[住所]山形県飽海郡遊佐町大字当山字上戸2
[電話]-
劔龍神社(けんりゅうじんじゃ、剣龍神社)は、山形県飽海郡遊佐町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 出羽国 飽海郡「小物忌神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
現在は、大きな赤い鳥居がシンボル。社伝によれば、創祀は平安時代初期の大同元年(806年)だという。
伝承では、当時、鳥海山に悪鬼が棲んで村人を苦しめていたことから、鳥海山大物忌神社の御祭神である大物忌神が神剣を振るって悪鬼を切り裂いた。
その際、頭が落ちたところに鳥海山大物忌神社の別当である龍頭寺が建てられ、尾が落ちたところが尾落伏村、現在の遊佐町直世落伏と称されるようになったという。
当地にも剣龍山剣積寺が創始され、その宮殿に神剣が納められたとされる。
剣積寺は、慈覚大師円仁の創建とされ、鎌倉時代の延慶元年(1308年)に浄光上人が再興した天台宗の寺院。現在も当社に隣接する。
現在も鳥海山に標高1554メートルの稲倉岳という峰があり、ここは比較的初期の噴火で形成された峰で、古来から鳥海山の奥院または秘所とされていた。
稲倉岳という名も、大物忌神と同神とされる稲倉魂命にちなむともされる。
悪鬼を両断した神剣は稲倉岳から飛び出たともいわれ、「鳥海山稲倉嶽剣龍山小物忌神社雲龍倉稲魂命の剣龍」と称し、当社の御神体となっている。
この他に、御神体として、奇石2個がある。明治までは神仏習合の社で、本地仏が薬師如来、脇立に日光菩薩、月光菩薩を祀っていた。
2個の奇石の由来は不明だが、往古より宝剣は薬師如来の背後に、奇石は日光・月光菩薩の背後に安置されていたという。
当社は、江戸時代には剣龍山大権現と呼ばれ、口碑に式内社「小物忌神社」であると伝えられてきたが、明治3年(1870年)に現社号に改称した。
明治9年(1876年)に村社に列し、明治12年(1879年)に郷社に昇格した。現在の御祭神は大己貴命。例祭は5月1日。
なお、式内社「小物忌神社」の論社は他に、酒田市山楯と飛島の小物忌神社、麓の飛澤神社、鶴岡市馬町の椙尾神社がある。
【ご利益】
病気平癒、病魔退散

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劔龍神社(けんりゅうじんじゃ、剣龍神社)は、山形県飽海郡遊佐町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 出羽国 飽海郡「小物忌神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
現在は、大きな赤い鳥居がシンボル。社伝によれば、創祀は平安時代初期の大同元年(806年)だという。
伝承では、当時、鳥海山に悪鬼が棲んで村人を苦しめていたことから、鳥海山大物忌神社の御祭神である大物忌神が神剣を振るって悪鬼を切り裂いた。
その際、頭が落ちたところに鳥海山大物忌神社の別当である龍頭寺が建てられ、尾が落ちたところが尾落伏村、現在の遊佐町直世落伏と称されるようになったという。
当地にも剣龍山剣積寺が創始され、その宮殿に神剣が納められたとされる。
剣積寺は、慈覚大師円仁の創建とされ、鎌倉時代の延慶元年(1308年)に浄光上人が再興した天台宗の寺院。現在も当社に隣接する。
現在も鳥海山に標高1554メートルの稲倉岳という峰があり、ここは比較的初期の噴火で形成された峰で、古来から鳥海山の奥院または秘所とされていた。
稲倉岳という名も、大物忌神と同神とされる稲倉魂命にちなむともされる。
悪鬼を両断した神剣は稲倉岳から飛び出たともいわれ、「鳥海山稲倉嶽剣龍山小物忌神社雲龍倉稲魂命の剣龍」と称し、当社の御神体となっている。
この他に、御神体として、奇石2個がある。明治までは神仏習合の社で、本地仏が薬師如来、脇立に日光菩薩、月光菩薩を祀っていた。
2個の奇石の由来は不明だが、往古より宝剣は薬師如来の背後に、奇石は日光・月光菩薩の背後に安置されていたという。
当社は、江戸時代には剣龍山大権現と呼ばれ、口碑に式内社「小物忌神社」であると伝えられてきたが、明治3年(1870年)に現社号に改称した。
明治9年(1876年)に村社に列し、明治12年(1879年)に郷社に昇格した。現在の御祭神は大己貴命。例祭は5月1日。
なお、式内社「小物忌神社」の論社は他に、酒田市山楯と飛島の小物忌神社、麓の飛澤神社、鶴岡市馬町の椙尾神社がある。
【ご利益】
病気平癒、病魔退散

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