奈良以前の創祀、江戸前期の社殿、藩主も楽しんだ例祭は流鏑馬
白山神社(宮城県仙台市若林区木ノ下3-9-1)
[住所]宮城県仙台市若林区木ノ下3-9-1
[電話]022-256-0409

白山神社(はくさんじんじゃ)は、宮城県仙台市若林区木ノ下にある神社。近代社格では郷社。木ノ下白山神社・木下白山神社とも。御朱印の有無は不明。

陸奥国分寺の創建以前から祀られ、寺の創建に際して土地を貸した神という。つまり、その創建は奈良時代及びそれ以前にさかのぼることになる。

御祭神は、伊弉諾尊伊弉冉尊菊理媛尊。加賀国の白山比咩神社を総本社とする。一説に、江戸期には志波彦神社とも呼ばれたという。

鎌倉時代草創期の文治5年(1189年)、奥州合戦で国分寺とともに全焼したと伝える。

戦国時代にこの地方の領主である国分氏の保護下にあり、崇敬された。国分宗政が再建したとも、国分盛重が天正年間(1573年-1593年)に再建したともいう。

そのため、江戸時代を通じて、当社祭礼には仙台藩領の各地に住む武士や百姓身分の国分氏旧臣と、仙台の国分町、二日町の町人が奉仕した。

両町は、仙台の建設時に陸奥国分寺・当社付近から仙台に移転したと伝えられ、当社を町の氏神にした。

3月3日の祭礼神事の中心は旧臣が馬を走らせながら的を矢で射る流鏑馬であった。

流鏑馬が終わると、使い終わった的を仙台南郊の長町と東郊の原町の若者が集団で奪いあう「的ばやい」という行事が行われた。的をとったほうが豊作になると伝わる。

祭りは翌日の国分寺の祭礼と一体化して、見世物、興行が出て人を集めた。陸奥仙台藩2代藩主伊達忠宗をはじめとする藩主も見物に来たという。

仙台城下は原則として芝居や相撲の興行が禁止されていたが、六つの御神事場だけは期間限定で許されており、当社はその一つでだった。

流鏑馬は昭和40年(1965年)頃まで続いたが、今では行われていない。現在の例祭は4月第3日曜日、主な神事として、丹波流白山神楽がある。

明治4年(1871年)7月に郷社に列した。明治初めに仙台とその近辺に県社以上の神社はなく、その格の高さをうかがわせたが、後に新設の青葉神社が県社に指定された。

現在の本殿は、伊達忠宗が江戸時代前期の寛永17年(1640年)に建てたもの。昭和42年(1967年)に解体修理が実施された。県指定文化財。

例祭に奉納される舞楽で付けられる木製の舞楽面2面(陵王・納曽利)も残る。『奥州名所図会』にも「その形姿、甚だ古雅なり」と紹介された。市の有形文化財に指定されている。

【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、家内安全、夫婦和合
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