往古より「道祖神」と崇敬受け、式内を合祀、4月例祭に「道祖神神楽」
佐倍乃神社(宮城県名取市愛島笠島字西台1-4)
[住所]宮城県名取市愛島笠島字西台1-4
[電話]022-382-3887

佐倍乃神社(さえのじんじゃ)は、宮城県名取市愛島笠島にある神社。笠島道祖神社とも。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。

当社の創建は第12代景行天皇40年、日本武尊の東征の折に勧請されたという。例祭は、東征の時から毎年4月20日に催行されている。

その他にも第11代垂仁天皇の御代には八津峯に鎮座していたという説や、第21代雄略天皇の御代には社殿が建立されたともいわれる。

猿田彦大神天鈿女命の夫婦神を祀る。「道祖神」や「幸神(さいのかみ)」と呼ばれた。他にも、夫婦和合や技芸上達の神として信仰されている。

東北本線館腰駅から南西に450メートルほどの川沿いの場所には「道祖神路の道標」と呼ばれる石標がある。

また、当社から北に1キロメートルほどの場所に「実方中将の墓」と伝えられる史跡がある。

しかし、江戸時代草創期の慶長7年(1602年)、当社が野火にあった際に、古来からの文献や宝物が一切焼失したため詳細は不明である。

柏原天皇の御代、戦国時代の大永2年(1522年)10月23日に本殿が造営され、文禄元年(1592年)2月15日に伊達政宗により社殿の修繕が行われた。

江戸時代には、松尾芭蕉も曽良とともに当社と実方中将の墓を目指して旧暦5月4日(現在の6月20日頃)やってきた。

しかし、五月雨にぬかるんだ道は、長旅により疲労した二人には厳しく、参拝を断念、下記の一句を残し、当社や中将の墓をながめるにとどまったという。
笠嶋は いづこさ月の ぬかり道
元禄13年(1701年)10月19日、陸奥仙台藩4代藩主伊達綱村により拝殿の修繕が行われ、祭田20石の寄進が行われた。

江戸時代中期の享保17年(1733年)には宗源宣旨を受け、神階「正一位」を授与。

往古から社名を道祖神社としていたが、明治時代初期に現社名に改称した。「佐倍乃(さえの)」は「幸神」の名称にちなむもの。

明治41年(1908年)11月に郷社に昇格し、式内社の佐具叡神社高皇産霊神)や近隣地域の神社10社を合祀、明治43年(1910年)3月には幣帛供進社に指定された。

境内には御神門兼神楽殿がある。神楽殿では例祭日に出雲流神楽である「道祖神神楽」が奉納される。

この神楽は、江戸時代後期の文政2年(1819年)に当時の神主である宍戸壱岐守が常陸国一宮鹿島神宮から伝えられたもの。

出雲流3拍子と言われる独特のリズムを持つという。県の無形文化財に指定されており、太白区郡山の諏訪神社など近隣地域の神社の例祭でも奉納されている。

その他に樹高20メートル・樹幹80センチメートルのもので、北限地帯のものでは珍しいタラヨウの巨木や、境内社として、大国社・正一位田村神社が鎮座している。

また、合祀した佐具叡神社の春日造りの社殿が境内西側に鎮座している。

【ご利益】
道開き・交通安全の神、縁結び・五穀豊穣・商売繁盛・家運隆盛
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