武甕槌神が「鉾」を立てた地、光圀の子・初代水戸藩主が奉納した楼門
[住所]福島県いわき市平中神谷字立鉾33
[電話]0246-34-2106
立鉾鹿島神社(たてほこかしまじんじゃ)は、福島県いわき市にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創祀は不明だが、平安時代、平城天皇の大同2年(807年)、魍魎が現われ、当時の神職だった藤原朝臣信次が、辻々に「鉾」を立て、社内に籠もり祈願し、退治したと伝わる。
御祭神は武甕槌神。本社は茨城県に鎮座する鹿島神宮。
「立鉾(たてほこ)」の地名は、御祭神が東北を平定するために当地に至り、当時「塩干山」と呼ばれていた現在地に登り、「鉾」を立て、これから進む東方を眺めたことにちなむ。
『日本三代実録』に記載されている「鹿島大神苗裔を祀る陸奥国の三十八の神社」の磐城郡11社のうちの一社といわれる。
当初、社殿は山頂に建てられていたが、天暦3年(949年)、当時の領主赤目崎住前出羽守平朝臣則重により、山下東北すみに再建された。
しかし、戦国時代になり、天正元年(1573年)に焼失し、天正5年(1577年)になり、領主岩城左京太夫平親隆により現在地に造営された。
現存の楼門は、江戸時代初期の寛永11年(1634年)、徳川光圀の子である水戸藩初代藩主徳川頼房が奉納したもの。現在は国の重要文化財に指定されている。
この楼門は、入母屋造り、銅板葺き屋根の2階建て、総朱漆塗りで装飾は少なく、1階の間口は3間1戸造り。中央1間は出入り口。左右の間には、随神像が安置されている。
現在掲げられている扁額「鹿島神宮」は、東郷平八郎元帥の直筆。棟梁は越前の大工坂上吉正。
例祭は5月4日で例大祭。神前で稚児舞・水戸里神楽が奉奏され、氏子青年の奉仕によって神興が地区内を巡行する。あせて子供神興も巡行する。秋季大祭は10月15日。
境内社に、稲荷神社・山倉神社などがある。
平中神谷の高月稲荷神社、平水品の水品神社、平北神谷の白山神社、平原高野の天照皇大神社、平馬目・平泉崎・鹿島町米田の八幡神社、平上片寄・平中神谷・鹿島町・四倉町の八坂神社など多数の神社を兼務している。
【ご利益】
安産、必勝、厄災除け、家内安全、武運長久・勝運(公式HP)
【関連記事】
・福島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、福島県に鎮座している神社の一覧
[電話]0246-34-2106
立鉾鹿島神社(たてほこかしまじんじゃ)は、福島県いわき市にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創祀は不明だが、平安時代、平城天皇の大同2年(807年)、魍魎が現われ、当時の神職だった藤原朝臣信次が、辻々に「鉾」を立て、社内に籠もり祈願し、退治したと伝わる。
御祭神は武甕槌神。本社は茨城県に鎮座する鹿島神宮。
「立鉾(たてほこ)」の地名は、御祭神が東北を平定するために当地に至り、当時「塩干山」と呼ばれていた現在地に登り、「鉾」を立て、これから進む東方を眺めたことにちなむ。
『日本三代実録』に記載されている「鹿島大神苗裔を祀る陸奥国の三十八の神社」の磐城郡11社のうちの一社といわれる。
当初、社殿は山頂に建てられていたが、天暦3年(949年)、当時の領主赤目崎住前出羽守平朝臣則重により、山下東北すみに再建された。
しかし、戦国時代になり、天正元年(1573年)に焼失し、天正5年(1577年)になり、領主岩城左京太夫平親隆により現在地に造営された。
現存の楼門は、江戸時代初期の寛永11年(1634年)、徳川光圀の子である水戸藩初代藩主徳川頼房が奉納したもの。現在は国の重要文化財に指定されている。
この楼門は、入母屋造り、銅板葺き屋根の2階建て、総朱漆塗りで装飾は少なく、1階の間口は3間1戸造り。中央1間は出入り口。左右の間には、随神像が安置されている。
現在掲げられている扁額「鹿島神宮」は、東郷平八郎元帥の直筆。棟梁は越前の大工坂上吉正。
例祭は5月4日で例大祭。神前で稚児舞・水戸里神楽が奉奏され、氏子青年の奉仕によって神興が地区内を巡行する。あせて子供神興も巡行する。秋季大祭は10月15日。
境内社に、稲荷神社・山倉神社などがある。
平中神谷の高月稲荷神社、平水品の水品神社、平北神谷の白山神社、平原高野の天照皇大神社、平馬目・平泉崎・鹿島町米田の八幡神社、平上片寄・平中神谷・鹿島町・四倉町の八坂神社など多数の神社を兼務している。
【ご利益】
安産、必勝、厄災除け、家内安全、武運長久・勝運(公式HP)
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