室町期に福島南相馬市鹿島区に勧請された伊勢、今も多くの地名
伊勢大御神上大神宮(福島県南相馬市鹿島区南柚木字宮前18)
[住所]福島県南相馬市鹿島区南柚木字宮前18
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伊勢大御神上大神宮(いせおおみかみかみだいじんぐう)は、福島県南相馬市鹿島区南柚木宮前にある神社。正式には伊勢大御神のみ。参拝すれば、御朱印を頂ける。

清和天皇の皇子である貞純親王の遠孫である相国岩松蔵人源義政が、伊勢の神宮(伊勢神宮)を篤く崇敬していた。

室町時代の応永12年(1405年)の秋、奥州の真野郷・山中郷を拝領すると、義政は中里家・嶋家・蒔田家ら家臣50数名を連れて海路でやってきた。

奥州の海岸へやってきたものの、どこが真野郷なのか誰も知らず、迷った。

その時、船の帆柱に2羽の鳥が止まり3回鳴き、陸の方へ飛び立っては船に向かい3回鳴き、また船に来て数回鳴いたという。

これを見た義政は「これはきっと崇敬する伊勢大神宮の御加護によるものだ。きっとこの地こそが真野郷に違いない」と思い、家臣らとともに上陸した。

義政たちが上陸した海岸付近は「鳥崎村(現 鹿島区鳥崎)」、伊勢大神宮の御神霊を奉じた御座所を立てた地を「王内(現 鹿島区大内)」と名付けたという。

応永13年(1406年)春、義政は八沢浦地区の南に伊勢大神宮の神殿と館を築いた。そのため、館のある地は「南屋形村(現 鹿島区南屋形)」と名付けられた。

同年秋になり、義政は伊勢国の度会五十鈴川に坐す天照皇太神宮(内宮)に参拝し、御式を奉斎して、神宮祠官の長である荒木田朝臣より天照皇太神宮の御分霊を受けた。

従三位度会家行の遠孫である四日市日光太夫という者を伊勢から招いて神主とし、同年9月16日には「天照皇太神宮」と名付け、南屋形の地で御分霊を祀った。

現在も鹿島区南屋形地区には四日市という地名が残されている。

御祭神は天照大御神、天照大御神荒魂の撞賢木厳之御魂天疎向津比売命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)を祀る。

撞賢木厳之御魂天疎向津比売命は、伊勢神宮内宮の別宮である荒祭宮や、兵庫県西宮市の廣田神社の御祭神で、祓戸大神の1柱である瀬織津姫神と同神とされる。

陸奥相馬氏17代当主相馬利胤(1581年-1625年)は、武運長久を当社に祈願するなど、厚く当社を崇敬した。

南柚木の地が伊勢神宮の鎮座地に似ているということで、南柚木の地の清い場所に社殿を新築し、社地の名前を字宮前と改めた。

天正11年(1584年)には、日光太夫の六世孫である鈴木大太夫を祭主として奉斎させたという。現在も鈴木家が宮司社家として奉斎している。

その後も藩主の尊崇篤く、神領奉納や社殿の修理、武運長久祈願などが行われた。明治維新までは社殿の修繕は藩費で行われたという。

明治3年(1870年)に、社名をそれまでの天照皇太神宮から伊勢大御神へと改称。その後も現在に至るまで12年に一度の「遷宮祭」が行われるなど、地域の崇敬を集めている。

なお、南柚木字水神下には、同名の伊勢大御神、当社と区別するために、伊勢大御神下大神宮と呼ばれる神社が鎮座する。

二つの伊勢大御神は、近接しているにもかかわらず、南柚木が伊勢国に似ているとして創建されたという以外、あまり由緒を共有していないのも特徴。

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伊勢大御神上大神宮 - 室町期に福島南相馬市鹿島区に勧請された伊勢、今も多くの地名
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伊勢大御神上大神宮の御朱印