平安期に国家鎮護の霊験あり、相馬藩主・領民の崇敬、東日本大震災で被災
[住所]福島県南相馬市鹿島区北右田釼宮112
[電話]-
御刀神社(みとじんじゃ)は、福島県南相馬市鹿島区にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「御刀神社(陸奥国・行方郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
第12代景行天皇の時代、日本武尊が東征の際に勧請したという。御祭神は香取神宮の御祭神である経津主神。
鎮座地名の「釼宮」や社名のように、にもあるように「剣」を祀る神社で、御神体も記録によれば「千歳の古刀」であるという。
平安時代、『延喜式神名帳』の直前の時期にあたる延喜5年(905年)、国家鎮護の神として霊験があったとされ、式内に列したという。
鎌倉時代の寛喜元年(1229年)、行方連により社殿の造替や神田の寄進があった。
江戸時代の正徳2年(1712年)、陸奥相馬中村藩7代藩主相馬尊胤により5石3升の奉納を受けた。
藩主のみならず地域の民衆からも尊崇を集める神社で、明治11年(1878年)には村社に列した。例祭は4月15日。
海に近く、水田に囲まれた地に鎮座する当社は、平成23年(2011年)3月11日に発生した東北地方太平洋地震(東日本大震災)の大津波により被災した。
鎮守の森は残されたものの、鳥居・社殿・境内社などが流出、近隣の氏子の住宅も流されるなど甚大な損害を被った。
震災後は各県の神社庁からの境内の復興事業が行われ、北海道神社庁と東京都の下谷神社の後援により、6月11日には仮社殿が境内に建立された。
境内社で、社殿左手の大神宮石碑の隣に鎮座している八坂神社の御神体「素戔嗚尊像」も瓦礫の中から発見された。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散、武運長久・勝運
【関連記事】
・福島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、福島県に鎮座している神社の一覧
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御刀神社(みとじんじゃ)は、福島県南相馬市鹿島区にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「御刀神社(陸奥国・行方郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
第12代景行天皇の時代、日本武尊が東征の際に勧請したという。御祭神は香取神宮の御祭神である経津主神。
鎮座地名の「釼宮」や社名のように、にもあるように「剣」を祀る神社で、御神体も記録によれば「千歳の古刀」であるという。
平安時代、『延喜式神名帳』の直前の時期にあたる延喜5年(905年)、国家鎮護の神として霊験があったとされ、式内に列したという。
鎌倉時代の寛喜元年(1229年)、行方連により社殿の造替や神田の寄進があった。
江戸時代の正徳2年(1712年)、陸奥相馬中村藩7代藩主相馬尊胤により5石3升の奉納を受けた。
藩主のみならず地域の民衆からも尊崇を集める神社で、明治11年(1878年)には村社に列した。例祭は4月15日。
海に近く、水田に囲まれた地に鎮座する当社は、平成23年(2011年)3月11日に発生した東北地方太平洋地震(東日本大震災)の大津波により被災した。
鎮守の森は残されたものの、鳥居・社殿・境内社などが流出、近隣の氏子の住宅も流されるなど甚大な損害を被った。
震災後は各県の神社庁からの境内の復興事業が行われ、北海道神社庁と東京都の下谷神社の後援により、6月11日には仮社殿が境内に建立された。
境内社で、社殿左手の大神宮石碑の隣に鎮座している八坂神社の御神体「素戔嗚尊像」も瓦礫の中から発見された。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散、武運長久・勝運
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