多賀城の頃に栄えた、芭蕉も訪問した平安期からの歌枕「浮嶋」
[住所]宮城県多賀城市浮島1-1
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浮島神社(うきしまじんじゃ、浮嶋神社)は、宮城県多賀城市浮島にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「多賀神社(陸奥国・宮城郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創建は不明だが、多賀城創建の頃から存在していたと伝えられる。宮城県神社庁では、「式外社だが、多賀城のあった頃は栄えたのではないか」とし、式内論社としては否定的。
御祭神は、奥塩老翁神と奥塩老女神。塩椎神と、その妻だと思われるが、塩椎神の妻が祀られるのは珍しいか。
鎮座地は、平安時代に歌枕として詠まれた「浮島」の地と伝えられており、小野小町の私家集にも当地を詠った和歌がある。
『新古今集』に、山口女王が陸奥の大伴家持へ遣わした歌として下記が収録されている。また明治天皇の御製も残る。
また、鹽竈神社の社史『別当法蓮寺記』や『鹽社由来追考』には、当社が鹽竈神社十四末社の一つであるという。
『曾良旅日記』によれば、元禄2年(1689年)5月8日、仙台から塩竈へ向かった松尾芭蕉と河合曾良は、浮島などを見物し、その夜は法蓮寺門前に宿を取ったと記録している。
記録によって御祭神が違っており、江戸時代の記録では高崎地区の多賀神社と混同されている場合があるという。
江戸期仙台藩によって編纂された『封内風土記』には、「多賀城東、田上有一丘、丘上有神祠是乃浮島明神也、不詳祭何神、指式内多賀神社」と見える。
明治時代の神社合祀令の際に、市川地区の陸奥総社宮に合祀されそうになったが、浮島地区の氏子たちの運動によって合祀を免れている。
例祭は4月15日。現在も氏子総代、氏子青年会などによって春の例祭やどんと祭などが行われている。
境内社に、陸奥国按察使として同地に赴任した源融を祀る大臣宮神社、多賀城鎮護八幡を継承した八幡神社、山形県酒田市の三居稲荷神社を分祀した三居稲荷神社がある。
なお、式内社「多賀神社」の論社には、陸奥総社宮や高崎の多賀神社の他、市内市川にも多賀神社がある。
【ご利益】
地域振興、地域安全、家内安全、夫婦和合

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浮島神社(うきしまじんじゃ、浮嶋神社)は、宮城県多賀城市浮島にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「多賀神社(陸奥国・宮城郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創建は不明だが、多賀城創建の頃から存在していたと伝えられる。宮城県神社庁では、「式外社だが、多賀城のあった頃は栄えたのではないか」とし、式内論社としては否定的。
御祭神は、奥塩老翁神と奥塩老女神。塩椎神と、その妻だと思われるが、塩椎神の妻が祀られるのは珍しいか。
鎮座地は、平安時代に歌枕として詠まれた「浮島」の地と伝えられており、小野小町の私家集にも当地を詠った和歌がある。
『新古今集』に、山口女王が陸奥の大伴家持へ遣わした歌として下記が収録されている。また明治天皇の御製も残る。
しほかまの まへにうきたる 浮島の 浮きて思ひの ある世なりけり『朝野群載 巻第6』所収の「式外神社進合御卜證文」に、白河天皇の延久6年(1074年)6月、陸奥国を代表して御卜を受ける三社の一つとして選ばれたとある。
また、鹽竈神社の社史『別当法蓮寺記』や『鹽社由来追考』には、当社が鹽竈神社十四末社の一つであるという。
『曾良旅日記』によれば、元禄2年(1689年)5月8日、仙台から塩竈へ向かった松尾芭蕉と河合曾良は、浮島などを見物し、その夜は法蓮寺門前に宿を取ったと記録している。
記録によって御祭神が違っており、江戸時代の記録では高崎地区の多賀神社と混同されている場合があるという。
江戸期仙台藩によって編纂された『封内風土記』には、「多賀城東、田上有一丘、丘上有神祠是乃浮島明神也、不詳祭何神、指式内多賀神社」と見える。
明治時代の神社合祀令の際に、市川地区の陸奥総社宮に合祀されそうになったが、浮島地区の氏子たちの運動によって合祀を免れている。
例祭は4月15日。現在も氏子総代、氏子青年会などによって春の例祭やどんと祭などが行われている。
境内社に、陸奥国按察使として同地に赴任した源融を祀る大臣宮神社、多賀城鎮護八幡を継承した八幡神社、山形県酒田市の三居稲荷神社を分祀した三居稲荷神社がある。
なお、式内社「多賀神社」の論社には、陸奥総社宮や高崎の多賀神社の他、市内市川にも多賀神社がある。
【ご利益】
地域振興、地域安全、家内安全、夫婦和合

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