日本武尊が奉斎した大鷹宮、義家が祈願、伊達家の崇敬、5月に例祭
多賀神社(宮城県仙台市太白区富沢3-15-1)
[住所]宮城県仙台市太白区富沢3-15-1
[電話]022-245-8199

多賀神社(たがじんじゃ)は、宮城県仙台市太白区にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「多加神社(陸奥国・名取郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

周辺には富沢遺跡・大野田遺跡などの縄文時代の遺跡や大野田古墳群、郡山遺跡があるなど、歴史的にも重要な地域だった。

当社は市内で最古の神社であり、社伝によれば、第12代景行天皇40年に日本武尊が東征の際に勧請したという。伊弉諾尊を主祭神として祀る。

第21代雄略天皇2年(458年)には圭田58束を賜り、神礼祭式を行ったと伝わる。往古は「大鷹宮」と呼ばれていたという。

境内由緒書によると、この地方の守護神として領主や武将から篤く崇敬されたという。

第70代後冷泉天皇の御代には、鎮守府将軍である源義家が東征の折に名取川を渡り、当社に参拝し、武運長久を祈願し、自筆の物を奉納したという。

その後も歴代仙台藩主から崇敬され、仙台藩7代藩主伊達重村の寄進を受け、安永4年(1775年)に社殿の普請が行われた。

角田城主であった石川宗光からも「多賀神社伊弉諾尊」の神号献上を受け、仙台藩の国学者安田光則は由緒記を石に刻み境内に建碑した。

明治5年(1872年)4月に村社に列した。明治22年(1889年)に、現在の名取市高柳にある同名神社との間で、式内比定論争が起きた。

その際は、当社が式内社と認定され、名取市高柳の多賀神社は社領のあった地とされた。ただし、近代社格では、当社が村社に対して、高柳は郷社。

明治42年(1909年)には大野田地区の春日神社(天児屋命)と東大野田地区の寶龍神社(高龗神)を合祀した。その後、大正8年(1919年)8月には幣帛供進社に指定された。

社殿として、拝殿・幣殿・春日造の本殿があり、境内には他に、石碑や石祠、箍納め所、御神木の柏の木、神楽殿、社務所がある。

例祭は5月1日。神楽舞が披露され、多くの出店、縁日で賑わう。昭和初期には、学校も休校になり子供たちの楽しみな1日になったという。

【ご利益】
健康長寿、縁結び、家内安全
多賀神社(仙台市) - 日本武尊が奉斎した大鷹宮、義家が祈願、伊達家の崇敬、5月に例祭
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