田村麻呂の創建、伊達氏に憚り香取社に、湯立神事や稚児献膳
[住所]宮城県加美郡色麻町四竃町2
[電話]0229-65-2197
伊達神社(いだてじんじゃ)は、宮城県加美郡色麻町四竃町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「伊達神社(陸奥国・色麻郡)」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では村社。
鳴瀬川の支流・花川の左岸にある円墳「御山古墳」の上に鎮座する。境内には、往古の石碑やイチョウ、スギの老大木がみられる。
平安時代の延暦年間(782年-806年)、坂上田村麻呂が東征の際に勧請したという。甕数百器により社地を築いたという。
一説には、この地にやってきた播磨国飾磨郡付近に住んでいた人々が、飾磨郡伊達の射楯兵主神社から射楯大神を勧請したともいう。
主祭神は、五十孟神・経津主神・武甕槌神。
伊達氏が陸奥守となると、伊達氏に憚り、社名を御祭神のうちの一柱である経津主神を祀る香取神宮にちなみ「香取社」に変えた。
文禄2年(1594年)に孫波々伯部将監卜部清治が羽黒修験に改宗、神雄山竈香寺圓覚坊覚永と号し、当社の別当となり、以来40数代に渡り社務を司った。
万治3年(1660年)には出火のため焼失。陸奥仙台藩4代藩主伊達綱村(1659年-1719年)は黄金1枚を献じ、修造料に充てたという。
江戸時代には、香取大明神・香取神社塩釜神社と称していた。
明治5年(1872年)に現社号に戻し、翌明治6年(1873年)に村社に列し、明治39年(1906年)、供進社に指定された。
明治38年(1905年)から明治41年(1908年)にかけて、熊野神社・塩竈神社・田村神社・今熊野神社・八坂神社・小河神社・田中神社を合祀。
それらの御祭神は、岐神・興玉命・国之底立命・倉稲魂命・家都御子神・熊野夫須美神・早玉雄神・櫛稲田比売命。
例祭は10月28日。以前は湯立神事が行われた。もとは旧暦9月27日、新暦後に毎年10月27日夜に斎行されたもので、釜150個、本釜40個を氏子が持参する。現在は休止中。
また、稚児献膳がある。毎年5月1日に行われ、氏子区域から約70名の女児が山菜を三方に盛り、稚児装束を着用し、男児10名は狩衣姿で旗を持ち、太鼓を打って町を練る。
もともと4月15日に執行していた。この日は蝦夷の長であるアテルイとモレが降伏した日を記念して始められたという。
加美町四日市場の赤塚鹿島神社、下新田の宇伎須神社とともに、色麻古社三社の一社。鳴瀬川を挟んで三社が三角形を描いて鎮座しているのは、東国三社を模したものだという。
【ご利益】
武運長久・勝運、木の神、子育て

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『延喜式神名帳』にある「伊達神社(陸奥国・色麻郡)」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では村社。
鳴瀬川の支流・花川の左岸にある円墳「御山古墳」の上に鎮座する。境内には、往古の石碑やイチョウ、スギの老大木がみられる。
平安時代の延暦年間(782年-806年)、坂上田村麻呂が東征の際に勧請したという。甕数百器により社地を築いたという。
一説には、この地にやってきた播磨国飾磨郡付近に住んでいた人々が、飾磨郡伊達の射楯兵主神社から射楯大神を勧請したともいう。
主祭神は、五十孟神・経津主神・武甕槌神。
伊達氏が陸奥守となると、伊達氏に憚り、社名を御祭神のうちの一柱である経津主神を祀る香取神宮にちなみ「香取社」に変えた。
文禄2年(1594年)に孫波々伯部将監卜部清治が羽黒修験に改宗、神雄山竈香寺圓覚坊覚永と号し、当社の別当となり、以来40数代に渡り社務を司った。
万治3年(1660年)には出火のため焼失。陸奥仙台藩4代藩主伊達綱村(1659年-1719年)は黄金1枚を献じ、修造料に充てたという。
江戸時代には、香取大明神・香取神社塩釜神社と称していた。
明治5年(1872年)に現社号に戻し、翌明治6年(1873年)に村社に列し、明治39年(1906年)、供進社に指定された。
明治38年(1905年)から明治41年(1908年)にかけて、熊野神社・塩竈神社・田村神社・今熊野神社・八坂神社・小河神社・田中神社を合祀。
それらの御祭神は、岐神・興玉命・国之底立命・倉稲魂命・家都御子神・熊野夫須美神・早玉雄神・櫛稲田比売命。
例祭は10月28日。以前は湯立神事が行われた。もとは旧暦9月27日、新暦後に毎年10月27日夜に斎行されたもので、釜150個、本釜40個を氏子が持参する。現在は休止中。
また、稚児献膳がある。毎年5月1日に行われ、氏子区域から約70名の女児が山菜を三方に盛り、稚児装束を着用し、男児10名は狩衣姿で旗を持ち、太鼓を打って町を練る。
もともと4月15日に執行していた。この日は蝦夷の長であるアテルイとモレが降伏した日を記念して始められたという。
加美町四日市場の赤塚鹿島神社、下新田の宇伎須神社とともに、色麻古社三社の一社。鳴瀬川を挟んで三社が三角形を描いて鎮座しているのは、東国三社を模したものだという。
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