南北朝期の創建、江戸後期の社殿、5月例祭で番楽競演会と大名行列
[住所]秋田県南秋田郡五城目町字神明前115
[電話]018-852-5222 - 五城目町商工観光課
五城目神明社(ごじょうめしんめいしゃ)は、秋田県南秋田郡五城目町にある神社。神明神社の一つ。御朱印の有無は不明。
南北朝時代の元徳年間(1329年-1331年)、後醍醐天皇の時代に、修験日桂山泉蔵院によって創立されたと伝わる。
由緒は不明、御祭神も不詳だが、天照大神だろうか。神明造の本殿には江戸時代後期の文化6年(1809年)の軒札が残っている。
近世を通じ、鎮守として土地の人々の崇敬を集め、お伊勢堂とも呼ばれていた。
昭和に入り、本殿と拝殿との間に反橋を新築、拝殿後方部も改造した。
正面、側面とも3間だったが、これにより側面4間に変わった。中央1間は円柱、両側が角柱であるのは珍しい。
軒見上げなどに江戸時代末の特徴を示す多くの彫刻が施されている。近年まで茅葺屋根だったが、現在は銅板葺きになった。
社殿に小倉主水の「天照宮」の刻印がある。拝殿と本殿は、町指定有形文化財。
例祭は5月15日・16日。5月第3土・日曜日。
土曜日の宵祭には、郷土芸能の番楽競演会が神楽殿で開かれ、日曜日の本祭には、鼻が異様に長く天狗のような出で立ちの猿田彦の先導で大名行列と御輿が練り歩く。
境内にあるイチョウ(いちょう)は町指定天然記念物。境内には、彰仁親王御真筆の縦1丈8尺(5.5メートル)・横7尺(2.1メートル)の征清記念碑がある。
また、庚申塔などがたくさん並び、豊受稲荷・番匠神社・山神社・金勢大明神などの境内社も多い。
金勢大明神は、金勢神を祀り、江戸時代末期の慶応3年(1867年)の創祀。昭和になり遷座し、最終的に当社境内に移された。社殿内には男根型の奉納物が多く立ち並ぶ。
また、境内には北弾正や家臣12名を祀った十三騎神社(十三騎堂)がある。
【ご利益】
開運招福、五穀豊穣、無病息災

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・秋田県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、秋田県に鎮座している神社の一覧
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五城目神明社(ごじょうめしんめいしゃ)は、秋田県南秋田郡五城目町にある神社。神明神社の一つ。御朱印の有無は不明。
南北朝時代の元徳年間(1329年-1331年)、後醍醐天皇の時代に、修験日桂山泉蔵院によって創立されたと伝わる。
由緒は不明、御祭神も不詳だが、天照大神だろうか。神明造の本殿には江戸時代後期の文化6年(1809年)の軒札が残っている。
近世を通じ、鎮守として土地の人々の崇敬を集め、お伊勢堂とも呼ばれていた。
昭和に入り、本殿と拝殿との間に反橋を新築、拝殿後方部も改造した。
正面、側面とも3間だったが、これにより側面4間に変わった。中央1間は円柱、両側が角柱であるのは珍しい。
軒見上げなどに江戸時代末の特徴を示す多くの彫刻が施されている。近年まで茅葺屋根だったが、現在は銅板葺きになった。
社殿に小倉主水の「天照宮」の刻印がある。拝殿と本殿は、町指定有形文化財。
例祭は5月15日・16日。5月第3土・日曜日。
土曜日の宵祭には、郷土芸能の番楽競演会が神楽殿で開かれ、日曜日の本祭には、鼻が異様に長く天狗のような出で立ちの猿田彦の先導で大名行列と御輿が練り歩く。
境内にあるイチョウ(いちょう)は町指定天然記念物。境内には、彰仁親王御真筆の縦1丈8尺(5.5メートル)・横7尺(2.1メートル)の征清記念碑がある。
また、庚申塔などがたくさん並び、豊受稲荷・番匠神社・山神社・金勢大明神などの境内社も多い。
金勢大明神は、金勢神を祀り、江戸時代末期の慶応3年(1867年)の創祀。昭和になり遷座し、最終的に当社境内に移された。社殿内には男根型の奉納物が多く立ち並ぶ。
また、境内には北弾正や家臣12名を祀った十三騎神社(十三騎堂)がある。
【ご利益】
開運招福、五穀豊穣、無病息災

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