戦国期に敗死した北弾正と家臣12名が祟りをなしたので神明社境内に奉斎
十三騎神社(秋田県南秋田郡五城目町字神明前115)
[住所]秋田県南秋田郡五城目町字神明前115
[電話]-

十三騎神社(じゅうさんきじんじゃ)は、秋田県南秋田郡五城目町の五城目神明社の境内社。御朱印の有無は不明。

『十三騎縁起』によれば、五城目町に変事がある際は、白馬が鈴を鳴らしながら知らせるという。特に火事の際に現れると言われ、火伏の神の性質が大きい。

古くは十三騎堂とも。天正16年(1588年)、秋田氏の内乱である湊合戦がその端緒となった。

この戦いの中で、秋田方を裏切り、南部氏についた比内郡の三浦秀兼、またの名を五城目兵庫が、内乱収束後に秋田実季より攻められたため、北弾正が救援に赴いた。

しかし敗れて五城目まで落ち延びたが、五城目が秋田勢によって占拠されていたため、この地にある神明社の後ろの立腹池で家臣12名と自害した。

その後、様々な異変が起き、十三騎の祟りとされたので、神明社境内に社を創建して、それを祀った。宮司は北弾正の遺臣である佐々木監物が就いたという。

御祭神は、北信愛の一族とされる北弾正を含む十三騎で、戸沢惣助・中屋敷小三郎(中屋鋪小三郎)・相坂顕明・杉沢鶴助(杉沢庄助)・黒瀬喜蔵・大槌大助・山口喜四郎・岩間伴内・高森与惣・田子助九郎・関根孫八・四戸又次郎。

御神体として十三騎の木像を有していたが、宮司の佐々木家が神官を辞した際に持ち去り、佐々木家の氏神として同家が祀っているという。

『秋田の民俗』の中に「落城十三騎」として紹介されているのが詳しい。ここには特段、祟りの話はない。
天正16年(1588年)、秋田湊城主安東実季は南部大膳太夫信直と戦い、比内を攻めた。

花巻城主北弾正はこの戦いに敗れて手勢500の大半を失い、腹心12騎とともに追手を逃れて、あてもなく落ちのびた。

山また山を歩き続けて数十日、異国の野で死を決意したとき、小さな沼を見つけた。水で身を清めた北弾正以下13騎は、立花池と呼ばれるその沼のほとりで自害した。

そのうちの一人が地元民に助けられた。名を佐々木監物(一説には和田監物)と名乗った。佐々木監物は、余生を12騎の供養に捧げた。

当時の五城目神明社の神官に12騎のことを話し、立花池のほとりに小さな祠を建立して十二騎を祀った。これが当社の前身と伝えられている。

佐々木監物も死後12騎と一緒に祭られた。十三騎の遺物は神明社境内の祠にはなく、佐々木監物の末裔が保存している。

立花池は今は昔日の面影もなく、僅かに小さな窪みとなって名残りをとどめているだけ。
【ご利益】
諸願成就
十三騎神社1
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