秋田田代岳山頂に鎮座、近江国比良明神を勧請、夏至の頃の例祭で作占い
[住所]秋田県大館市早口字田代山119
[電話]0186-62-0471
田代山神社(たしろやまじんじゃ)は、秋田県大館市早口にある神社。近代社格では無格社。御朱印の有無は不明。
青森県境近く、田代連山の主峰で、標高1178メートルの田代岳の頂上に鎮座する。
北は北海道・青森、南は山形、西は岩手・宮城と東北5県の山並を展望できる一大霊山として、現在は県立自然公園に指定されている。
山の神・田の神・水の神・作神の守護神として、秋田県北地方・青森県津軽地方・岩手県北内陸地方に至る広汎な信仰圏を持つ。
近江国比良山比良明神を本社とし、社伝によれば、創建年代は不詳だが、平安時代の仁寿2年(852年)、慈覚大師円仁が再興したという。
御祭神は、白髭大神(しらひげのおおみかみ)で、猿田彦大神と同神であるという。
鎌倉時代の弘長2年(1262年)以前には綴子に神宮寺として常覚院が開基されたという。現在も綴子神社は当社の遥拝所としての機能を有す。
南北朝時代の建武元年(1335年)、南朝方有力武将の北畠顕家は山麓の長慶金山を開発する際に、当社を再建。
江戸時代中期の宝暦10年(1759年)、久保田藩の御用山師である伊多波武助が長慶金山を再開発するにあたり、当社を再建したという。
明治6年(1873年)に無格社に列し、十数度の修理改築を経て、昭和40年(1965年)に社殿を新築した。
昭和61年(1986年)、原因不明の火災で焼失、翌昭和62年(1987年)に再建した。また、平成28年(2016年)4月17日に強風により損壊した。
例祭は、夏至から数えて11日目にあたる半夏生。作占いや散供神事が行われる。
9合目は有史以前の噴火口跡とされ、一帯に110あまりの直径2-30メートル、深さ20センチ-2メートルの地塘が散在している。
これを田代の田ッコと称し、この中に生育する水草のミヅカシワ、ミネハリイを苗ッコ、稲ッコと称し、豊凶作占いをする。
特に散供堤では諸々の人生占いを行うことになっている。これが散供神事である。
【ご利益】
五穀豊穣、無病息災、健康長寿
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田代山神社(たしろやまじんじゃ)は、秋田県大館市早口にある神社。近代社格では無格社。御朱印の有無は不明。
青森県境近く、田代連山の主峰で、標高1178メートルの田代岳の頂上に鎮座する。
北は北海道・青森、南は山形、西は岩手・宮城と東北5県の山並を展望できる一大霊山として、現在は県立自然公園に指定されている。
山の神・田の神・水の神・作神の守護神として、秋田県北地方・青森県津軽地方・岩手県北内陸地方に至る広汎な信仰圏を持つ。
近江国比良山比良明神を本社とし、社伝によれば、創建年代は不詳だが、平安時代の仁寿2年(852年)、慈覚大師円仁が再興したという。
御祭神は、白髭大神(しらひげのおおみかみ)で、猿田彦大神と同神であるという。
鎌倉時代の弘長2年(1262年)以前には綴子に神宮寺として常覚院が開基されたという。現在も綴子神社は当社の遥拝所としての機能を有す。
南北朝時代の建武元年(1335年)、南朝方有力武将の北畠顕家は山麓の長慶金山を開発する際に、当社を再建。
江戸時代中期の宝暦10年(1759年)、久保田藩の御用山師である伊多波武助が長慶金山を再開発するにあたり、当社を再建したという。
明治6年(1873年)に無格社に列し、十数度の修理改築を経て、昭和40年(1965年)に社殿を新築した。
昭和61年(1986年)、原因不明の火災で焼失、翌昭和62年(1987年)に再建した。また、平成28年(2016年)4月17日に強風により損壊した。
例祭は、夏至から数えて11日目にあたる半夏生。作占いや散供神事が行われる。
9合目は有史以前の噴火口跡とされ、一帯に110あまりの直径2-30メートル、深さ20センチ-2メートルの地塘が散在している。
これを田代の田ッコと称し、この中に生育する水草のミヅカシワ、ミネハリイを苗ッコ、稲ッコと称し、豊凶作占いをする。
特に散供堤では諸々の人生占いを行うことになっている。これが散供神事である。
【ご利益】
五穀豊穣、無病息災、健康長寿
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