悲劇と勧善懲悪、清水寺に似た「舞台造り」、小正月に裸参り
[住所]秋田県能代市二ツ井町荷上場字五輪岱23
[電話]0185-73-5075
高岩神社(たかいわじんじゃ)は、秋田県能代市二ツ井町の高岩山にある神社。御朱印の有無は不明。
標高333.7メートルの高岩山は、山頂付近や参道に多くの奇岩や巨石、巨木があり、古くからの霊山として周辺から信仰の対象となっていた。
『荷上場郷土史』によれば、高岩山は大昔の噴火によってできた山だとしている。藤里町字滝の沢に、深名岱の穴があり、寒冷のころには白煙が立ち積雪しないという。
平安時代の天安年間(857年-859年)に慈覚大師円仁が開山したとされる。『秋田風土記』によれば、当社の阿弥陀如来像・薬師如来像・観音菩薩像は円仁の作。
ただし、円仁の開山は実は再建であり、創祀はそれよりさらにさかのぼるとも指摘される。
現在も、慈覚大師が異人が出会った場所とされる、四つの巨石が傾いて岩屋のようになっている四廊岩がある。慈覚大師が水を飲んで目を洗った清霊の泉・目洗水もある。
天正年間(1573年-1593年)、高岩山の密乗寺は御坊十指に余ることから四八寺と呼ばれていたが、横暴な僧兵は村人から嫌われていたという。
猿回しの夫婦の悲劇
高岩山の西南にあった館平城は、浅利氏重臣の額田甲斐守が支配していた。
館平城の近くの町に京から若い猿回しの夫婦が来た。夫婦は城に呼ばれ、芸を披露。額田甲斐守は妻の上品さと美しさに心ひかれ横恋慕する。
身の危険を感じた夫婦は猿とともに逃げ出したが、後に捕まり、夫と猿は殺され、泣き叫ぶ妻は城に連れ戻されてしまう。
隙を見つけて城を脱出した妻だったが、崖の途中で逃げ切れないと観念して、面が渕という場所で藤琴川に飛び込み、死んだ。
以来当地には疫病や洪水などの不都合ばかり起きた。このため、村人は夫婦と猿の霊を祀ったという。
額田甲斐守の悪運尽きる
額田甲斐守は一方で、高岩山の僧兵の動きにも目を配っていた。ある時、寺院に招待され、思いのほか歓待されたため、油断したか、入浴中に槍に刺されて死んだ。
村人は悪行が多かった殿様もついに悪運が尽きたのか、夫婦と猿の怨念か、と噂したという。
その後の高岩山
城主を殺された館平城は、仇討として高岩山の寺院を急襲、僧兵は散り散りに逃走した。その際、寺方の子女8人が身を投じた。その岩を稚児岩、その谷底を地獄谷と呼ばれるようになった。
城主のいない館平城は、安東実季に攻められ落城。また、高岩山も安東実季によって危険視され、焼き払われた。残された寺は密乗寺と如来寺だった。
復興と霊場としての定着
秋田市山内田中の補陀寺(曹洞宗)の11世天室蒼龍和尚は密乗寺衰微を憂い、天正12年(1584年)に荷上場村に梅林寺を再興した。その際、宗派を曹洞宗に改めた。
江戸時代になり、延宝9年・天和元年(1681年)に高岩山御堂が焼失、天和3年(1683年)には残された密乗寺も、落ち武者の失火から焼失した。
その後、高岩山はこの地区共通の霊場として修験者の修業の場となった。
出羽久保田藩9代藩主佐竹義和の筆による「高岩山」と書かれた額が、寛政6年(1794年)に奉納され、現存している。
明治5年(1872年)に修験道が禁止され、当社が成立した。
明治43年(1910年)に荷上場下中嶋神明社、字町館館平神社、字町館生駒神社、字鍋良子稲荷神社、字加護山神明社及び境内4社と、字鍋良子出口浮嶋神社を合祀した。
現在までに御祭神は、高皇産霊神・神皇産霊神・大己貴神・少彦名神・応神天皇・豊受姫神・天照皇大神・日本武尊・受持乃神・火産霊神。
例祭は5月8日。現在、小正月に男若水裸参りが行われている。さらしの下帯姿に白足袋・わらじを履き、極寒の藤琴川に入り、手桶で冷水を頭からかぶり身を清める。
その後、賽銭を握りしめ、無言で約4キロ先の当社まで登り、お払いを受け、無病息災・家内安全を祈願する。
この行事への参加者は、地元の若者だけでなく、観光客で参加する人や、遠くから参加しにくる人も多い。裸参りを3年続けて行うと願い事が叶うとされている。
この裸参りに合わせて高岩山万燈夜が行われている。これは参道からの山肌にかけて雪灯籠をともし、東日本大震災の犠牲者追悼と早期復興を祈願するもの。
社殿は清水寺に似た「懸造」または「舞台造」と呼ばれている造りになっている。
境内には、鎌倉時代末期から室町時代初期の作とされる五輪塔がある。五輪塔から少し沢を下りた場所に、樹齢800年以上とされる大銀杏がある。
また、推定樹齢550年の大スギがあり、この周囲を息を止めて7周できると、願い事が叶うとされ、七廻杉と呼ばれている。
金剛界大日如来を祀る男御殿岩は、高岩山では最も巨大な高さ20丈といわれる巨岩。胎蔵界大日如来を祀る女御殿岩もある。それらの麓に籠目岩がある。
【ご利益】
無病息災、身体壮健、健康長寿、諸願成就

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高岩神社(たかいわじんじゃ)は、秋田県能代市二ツ井町の高岩山にある神社。御朱印の有無は不明。
標高333.7メートルの高岩山は、山頂付近や参道に多くの奇岩や巨石、巨木があり、古くからの霊山として周辺から信仰の対象となっていた。
『荷上場郷土史』によれば、高岩山は大昔の噴火によってできた山だとしている。藤里町字滝の沢に、深名岱の穴があり、寒冷のころには白煙が立ち積雪しないという。
平安時代の天安年間(857年-859年)に慈覚大師円仁が開山したとされる。『秋田風土記』によれば、当社の阿弥陀如来像・薬師如来像・観音菩薩像は円仁の作。
ただし、円仁の開山は実は再建であり、創祀はそれよりさらにさかのぼるとも指摘される。
現在も、慈覚大師が異人が出会った場所とされる、四つの巨石が傾いて岩屋のようになっている四廊岩がある。慈覚大師が水を飲んで目を洗った清霊の泉・目洗水もある。
天正年間(1573年-1593年)、高岩山の密乗寺は御坊十指に余ることから四八寺と呼ばれていたが、横暴な僧兵は村人から嫌われていたという。
猿回しの夫婦の悲劇
高岩山の西南にあった館平城は、浅利氏重臣の額田甲斐守が支配していた。
館平城の近くの町に京から若い猿回しの夫婦が来た。夫婦は城に呼ばれ、芸を披露。額田甲斐守は妻の上品さと美しさに心ひかれ横恋慕する。
身の危険を感じた夫婦は猿とともに逃げ出したが、後に捕まり、夫と猿は殺され、泣き叫ぶ妻は城に連れ戻されてしまう。
隙を見つけて城を脱出した妻だったが、崖の途中で逃げ切れないと観念して、面が渕という場所で藤琴川に飛び込み、死んだ。
以来当地には疫病や洪水などの不都合ばかり起きた。このため、村人は夫婦と猿の霊を祀ったという。
額田甲斐守の悪運尽きる
額田甲斐守は一方で、高岩山の僧兵の動きにも目を配っていた。ある時、寺院に招待され、思いのほか歓待されたため、油断したか、入浴中に槍に刺されて死んだ。
村人は悪行が多かった殿様もついに悪運が尽きたのか、夫婦と猿の怨念か、と噂したという。
その後の高岩山
城主を殺された館平城は、仇討として高岩山の寺院を急襲、僧兵は散り散りに逃走した。その際、寺方の子女8人が身を投じた。その岩を稚児岩、その谷底を地獄谷と呼ばれるようになった。
城主のいない館平城は、安東実季に攻められ落城。また、高岩山も安東実季によって危険視され、焼き払われた。残された寺は密乗寺と如来寺だった。
復興と霊場としての定着
秋田市山内田中の補陀寺(曹洞宗)の11世天室蒼龍和尚は密乗寺衰微を憂い、天正12年(1584年)に荷上場村に梅林寺を再興した。その際、宗派を曹洞宗に改めた。
江戸時代になり、延宝9年・天和元年(1681年)に高岩山御堂が焼失、天和3年(1683年)には残された密乗寺も、落ち武者の失火から焼失した。
その後、高岩山はこの地区共通の霊場として修験者の修業の場となった。
出羽久保田藩9代藩主佐竹義和の筆による「高岩山」と書かれた額が、寛政6年(1794年)に奉納され、現存している。
明治5年(1872年)に修験道が禁止され、当社が成立した。
明治43年(1910年)に荷上場下中嶋神明社、字町館館平神社、字町館生駒神社、字鍋良子稲荷神社、字加護山神明社及び境内4社と、字鍋良子出口浮嶋神社を合祀した。
現在までに御祭神は、高皇産霊神・神皇産霊神・大己貴神・少彦名神・応神天皇・豊受姫神・天照皇大神・日本武尊・受持乃神・火産霊神。
例祭は5月8日。現在、小正月に男若水裸参りが行われている。さらしの下帯姿に白足袋・わらじを履き、極寒の藤琴川に入り、手桶で冷水を頭からかぶり身を清める。
その後、賽銭を握りしめ、無言で約4キロ先の当社まで登り、お払いを受け、無病息災・家内安全を祈願する。
この行事への参加者は、地元の若者だけでなく、観光客で参加する人や、遠くから参加しにくる人も多い。裸参りを3年続けて行うと願い事が叶うとされている。
この裸参りに合わせて高岩山万燈夜が行われている。これは参道からの山肌にかけて雪灯籠をともし、東日本大震災の犠牲者追悼と早期復興を祈願するもの。
社殿は清水寺に似た「懸造」または「舞台造」と呼ばれている造りになっている。
境内には、鎌倉時代末期から室町時代初期の作とされる五輪塔がある。五輪塔から少し沢を下りた場所に、樹齢800年以上とされる大銀杏がある。
また、推定樹齢550年の大スギがあり、この周囲を息を止めて7周できると、願い事が叶うとされ、七廻杉と呼ばれている。
金剛界大日如来を祀る男御殿岩は、高岩山では最も巨大な高さ20丈といわれる巨岩。胎蔵界大日如来を祀る女御殿岩もある。それらの麓に籠目岩がある。
【ご利益】
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