「副川」のある神宮寺岳山頂に飛鳥朝に創建、6柱を祀る、3月に梵天奉納
嶽六所神社(秋田県大仙市神宮寺字落貝7)
[住所]秋田県大仙市神宮寺字落貝7
[電話]0187-72-2530

嶽六所神社(だけろくしょ じんじゃ)は、秋田県大仙市神宮寺の神宮寺岳山頂にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 出羽国 山本郡「副川神社」に比定される式内社(小社)の論社。

標高281メートルの神宮寺岳は、雄物川に河幅の広い支流玉川が流入する水量豊かな地点に河岸から直接起ちあがった円錐の形よい山。

「副川」を名とする古代の神奈備山に極めてぴったりとした山容を備えていると指摘される。

社伝によれば、飛鳥時代の大宝元年(701年)、藤原不比等が奏聞して創建した。翌大宝2年(702年)に斎藤安房守が神宮寺岳山頂に6堂を建立して6柱の神を祀ったという。

六所明神として、稲倉魂神五十猛命金山毘古命高彦根命大己貴命事代主命を奉斎したとも。

平安時代の大同2年(806年)には、坂上田村麻呂が里宮を建立、八幡大神を合わせ祀ったため、現在の八幡神社が優勢となった。

現在の御祭神は、秋田県神社庁によれば、大田命・興玉命句々土命大山祇命磐戸命の5柱。一説には鹽槌翁を加えるという。

江戸時代になり、出羽久保田藩4代藩主佐竹義格が藩内古社の復興を行った際に、八郎潟町の副川神社が比定地とされ、秋田藩三国社に列せられた。

しかし、古代の山本郡は近世以降の仙北郡であり、後世の調査では、当社が本来の副川神社であるとされている。

式内社「副川神社」の論社は他に、副川神社の古社地とされる秋田市添川の添川神明社がある。

宝物として神像一体があった。江戸時代中期の安永5年(1776年)、浅利大賢という神学者が参拝した際、像体を宮殿に納めるのは神式ではないと投落したという。

後にその一体を拾い上げたものが伝わっていたとされるが、現在は不明だという。

Wikipediaによれば、当社は近代社格において郷社とされている。しかし、本文中には「当社の里宮である八幡神社」が郷社に列したとあるのみ。

他の資料でも、当社自身が郷社に列した、というものは見られない。また、八幡神社は、Wikipediaに限らず郷社とされるが、秋田県神社庁によれば、後に県社に昇格している。

例祭は3月25日。現在は3月第3日曜日で、梵天奉納が行われる。

神宮寺梵天とも呼ばれ、棒の先端に球状の装飾物を着けた梵天(ぼんでん)を担ぎ、一気に神宮寺岳山頂まで駆け上がる。

神宮寺岳の神は女神で、梵天は男根とされるから、一気に駆け上がって梵天を届けると、女神がことのほか喜ばれる、という(参考)。

【ご利益】
地域振興、地域安全、交通安全、旅行安全、子宝
嶽六所神社 - 「副川」のある神宮寺岳山頂に飛鳥朝に創建、6柱を祀る、3月に梵天奉納
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