謎の杉生大明神、元慶の乱で律令政権側に付いた地、副川神社の古社地?
[住所]秋田県秋田市添川字古城廻り51
[電話]018-832-2066
添川神明社(そえがわしんめいしゃ)は、秋田県秋田市添川にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 出羽国 山本郡「副川神社」に比定される式内社(小社)の論社。創祀年代は不詳。
この社の宝物に「まんだら弓」がある。延宝5年(1677年)、添川村で、出羽久保田藩3代藩主佐竹義処の前で火矢を1町5反も射て、前矢・後矢とも当たり、褒章に与ったもの。
昭和3年(1928年)、明神社と呼ばれていた杉生大神に、神明社・熊野神社・那智瀧神社・鹿嶋神社を合祀して、村社に列した。
また、同時期と思われるが、濁川八幡神社と三本松羽黒神社を合祀したという。古川巳一郎の屋敷神であったとも。
杉生大明神は現在も当社境内に建てられているという。現在の御祭神は、天照皇大神・豊受姫大神・鹿嶋大神・杉皇大神・熊野大神・那智滝大神。
杉生大神(すぎうおおかみ)、あるいは杉生大明神(すぎうだいみょうじん)、さらに現在の杉皇大神(すぎすめのおおかみ)に関しては不詳。
江戸時代後期の菅江真澄は、南秋田郡八郎潟町の副川神社にも祀られていると指摘、一部では、当社地が副川神社の古社地ではないかとの指摘がある。
そのため、当社も式内社「副川神社」の論社とされる。最近では、志賀剛『式内社の研究 第十巻 東山道』(昭和61年12月)に詳しい。
それによれば、平安時代の元慶2年(878年)に起きた元慶の乱において、添川・覇別・助川の三村だけが律令政権側に付いたという『日本三代実録』の記事に注目。
この添川が当地及び当社地に比定され、つまり、当社は、式外社である古四王神社とともに、秋田城の守護神だったとする。
『延喜式』神名帳では山本郡鎮座であるが、『和名類聚抄』で添川郷は秋田郡内としている。
式内社「副川神社」は、南秋田郡内川村大字浦大町、現在の南秋田郡八郎潟町浦大町に位置したが、それ以前には当社地付近に鎮座していた可能性がある、というもの。
当社の例祭は6月11日。境内社に唐松神社がある。式内社「副川神社」の論社は副川神社の他に、大仙市神宮寺の嶽六所神社、嶽六所神社の里宮である八幡神社がある。
【ご利益】
開運招福、地域安全
【関連記事】
・秋田県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、秋田県に鎮座している神社の一覧
[電話]018-832-2066
添川神明社(そえがわしんめいしゃ)は、秋田県秋田市添川にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 出羽国 山本郡「副川神社」に比定される式内社(小社)の論社。創祀年代は不詳。
この社の宝物に「まんだら弓」がある。延宝5年(1677年)、添川村で、出羽久保田藩3代藩主佐竹義処の前で火矢を1町5反も射て、前矢・後矢とも当たり、褒章に与ったもの。
昭和3年(1928年)、明神社と呼ばれていた杉生大神に、神明社・熊野神社・那智瀧神社・鹿嶋神社を合祀して、村社に列した。
また、同時期と思われるが、濁川八幡神社と三本松羽黒神社を合祀したという。古川巳一郎の屋敷神であったとも。
杉生大明神は現在も当社境内に建てられているという。現在の御祭神は、天照皇大神・豊受姫大神・鹿嶋大神・杉皇大神・熊野大神・那智滝大神。
杉生大神(すぎうおおかみ)、あるいは杉生大明神(すぎうだいみょうじん)、さらに現在の杉皇大神(すぎすめのおおかみ)に関しては不詳。
江戸時代後期の菅江真澄は、南秋田郡八郎潟町の副川神社にも祀られていると指摘、一部では、当社地が副川神社の古社地ではないかとの指摘がある。
そのため、当社も式内社「副川神社」の論社とされる。最近では、志賀剛『式内社の研究 第十巻 東山道』(昭和61年12月)に詳しい。
それによれば、平安時代の元慶2年(878年)に起きた元慶の乱において、添川・覇別・助川の三村だけが律令政権側に付いたという『日本三代実録』の記事に注目。
この添川が当地及び当社地に比定され、つまり、当社は、式外社である古四王神社とともに、秋田城の守護神だったとする。
『延喜式』神名帳では山本郡鎮座であるが、『和名類聚抄』で添川郷は秋田郡内としている。
式内社「副川神社」は、南秋田郡内川村大字浦大町、現在の南秋田郡八郎潟町浦大町に位置したが、それ以前には当社地付近に鎮座していた可能性がある、というもの。
当社の例祭は6月11日。境内社に唐松神社がある。式内社「副川神社」の論社は副川神社の他に、大仙市神宮寺の嶽六所神社、嶽六所神社の里宮である八幡神社がある。
【ご利益】
開運招福、地域安全
【関連記事】
・秋田県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、秋田県に鎮座している神社の一覧
コメント