秋田藤里町、「すばり」不動の滝近くに不動明王を奉斎、多数の奉納物
[住所]秋田県山本郡藤里町粕毛字岩合2-1
[電話]0185-79-1551

素波里神社(すばりじんじゃ)は、秋田県山本郡藤里町粕毛にある神社。近代社格では郷社。例祭は7月28日。御朱印の有無は不明。

藤里町の2字目にある「里」は、当社名の「里」から取っている。「すばり」という語は「すぼまって狭い」という意味。藤琴川の奥にも素波里という地名がある。

創建は不明であるが、正徳元年(1712年)の神社調べに記載されていることから、それ以前に創建されたことは確実。

天保14年(1843年)の『粕毛村神社書上書』によれば、開基は奥州錦戸殿とある。錦戸殿は正治2年(1200年)4月に死去していることから、当社創建は鎌倉時代初期だと考えられる。

口伝によれば、慈覚大師円仁が自作の不動明王を祀った、とも。であれば、平安時代前期であり、時代が合わない。

また、安倍氏が敗れてこの地に逃れて来た時に、背負ってきた不動像をこの地に置いた、ともされるが、これも平安時代のことと考えられ、時代が合わない。

他にも粕毛村谷地にあった館に立ち寄った比内浅利氏の氏神などの説がある。創建当時の社は、現在の社殿がある西側台地の滝を望める場所にあったとされる。

古名を岩切沢不動堂、山号は青黒山、寺号は峰大寺といったが、神仏分離によって社名を現社号に改めた。

もともとは御神体の不動明王立像を祀り、その他に脇侍・矜羯羅童子・制多迦童子の木像があるが、明治になり、御祭神を不動明王から日本武尊に、末社の牛頭天王も素盞嗚神に改められた。

社殿は文化10年(1813年)に藤琴村の市川孫兵衛が新築して寄進、弘化3年(1846年)と昭和13年(1938年)に再建されて現在に至る。

奉納物は元禄5年(1692年)の鰐口を始め多数ある。慶応3年(1867年)と明治2年(1869年)の俳句献額には、幕末期や明治初期の秋田県俳句界著名人の献額がある。

また、社の前には石灯籠や狛犬などが献納されている。平成元年(1989年)には、地元出身の加藤廣志による「能代工業バスケットボール全国優勝30回記念」の碑が献納された。

神社奥すぐに素波里ダムの施設があるが、この脇を通り過ぎて左奥に行くと、素波里不動の滝がある。滝下には数個の献納された観音像がある。

【ご利益】
病気平癒、身体壮健、健康長寿、病魔退散
素波里神社 - 秋田藤里町、「すばり」不動の滝近くに不動明王を奉斎、多数の奉納物
【関連記事】
秋田県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、秋田県に鎮座している神社の一覧